蓴羹鱸膾と私

こんばんは。
for severe addicts onlyのギターの慎です。

実家がなくなりました。

唐突にこういう言い方をすると災害に遭ったとか立ち退きとか大変な目にあった感じがして誤解されてしまいそうですがそうではなく長年一人で二階建の一軒家に住んでいた母が今年の1月に大阪に引っ越してきたという話です。
何回かこの話をここに書こうとしては誰が興味あんねんと思って途中まで書いた文章を消すことを繰り返していましたが、そもそも今までのどの話も誰が興味あんねんっていう内容であって、きっとこれをわざわざ読みにきてくれている人は多少なりとも何らかの興味を持ってくれているのだろうという自分勝手な解釈により再び筆を執るに至った次第です。
とここまで書いて、何で興味持ってもらえるかとか必要以上に気遣わなあかんねん「バズる」という言葉が膾炙してからというものわざとらしくそれを狙ったSNSの人かよと自己嫌悪に陥ってまた文章を消しかけましたが今の気持ちを留めておこうということもあり思い留まりました。バズりたい。

話を脱線させてしまいそうになりましたがそれも思い留まり、実家がなくなった話です。
「話です。」って言うてますけど既に冒頭の2文目で簡潔にまとめてしまっていますが。

実家は滋賀県の彦根市というところにありました。
俺が生まれて一回同市内で引っ越しはしたけれど18歳までずっと過ごして楽しいことも辛いことも甘酸っぱいことも色々沢山の思い出を作ってきた、紛れもない故郷です。
まずは俺が実家を出て一人暮らしを始め、父親が亡くなり、妹も進学の為に家を出て就職してそのまま、段々と必要ではない自分のスペースが増えていく家で一人暮らしていた母。
いつ頃から計画していたかは分かりませんがいつかはそうするつもりだとは何となく聞かされており、両祖父母が亡くなったことをきっかけに本格的に動き出しました。
生まれてからずっと同市で生活をしてきた母にとって楽しみもあれどもそれ以上にどれだけ不安を伴う決断だったか。
今ではもうすっかり慣れたようで生まれて初めてのマンションでの一人暮らしにブーブー細かい文句言いながらもこんな店見つけたとかここにはどう行けばいいのかとか何だかんだエンジョイしているようで良かったです。
数年前に心筋梗塞で倒れて入院したということもあり、万が一何かあった時にすぐに駆け付けられる距離にいてくれるのは息子としてもありがたい限りです。
あとはいつかは俺が実家を相続して処分するなり何なりしないといけないという手間を…ということを文章にすると生々しいので察してください。

自分目線の話をすると、法事とかの半強制的に帰らざるを得ないイベントがなければ年に一回帰るかどうかと言っても良い様に言い過ぎなくらい帰省というものを優先順位のだいぶ下に置いていた身でもさすがに寂しく思います。
18歳までの思い出を辿ればそれは当然ながらあの家と共に浮かび上がるし、いつからか彦根市が観光地として盛り上がってきた頃は住んでた時は何も思わなかった街並みを誇らしく思えたし、たまに帰省すると懐かしくも新鮮な気持ちと共に懐かしい場所の新しい姿を観光気分で訪れてみたり。
もう次に行く時は「観光気分」じゃなくて「観光」だななんて思ってみたり。
自分勝手にないがしろにしてきたけれど、いざなくなると寂しくなってちょっと惜しくなる。これもまた自分勝手。
よくある話ですが結局人間なんてないものねだりでなくなってからじゃないと価値がはっきりと見えないものばかり。

俺よりは残り少ないであろう人生の中で大きな決断をした彼女が新天地での暮らしを謳歌できるように、今までよりちょっとだけ気にかけながら時々様子を見に行こうと思います。

ちょうど最近、同じ滋賀県出身の西川貴教さんが故郷との向き合い方を話されている番組を何度か見ることもあり、非常におこがましくもすごく羨ましく思っていました。
けれど西川さんは西川さんの向き合い方で。俺は俺なりの「家族」という小さくも大きな枠の中での向き合い方で。
もしも何かの偶然が重なってこれが西川さんの目に止まるようなことがあれば、イナズマロックフェスにfor severe addicts only、如何でしょう?

偶然にも滋賀で暮らした期間と大阪で暮らした期間がちょうど半々になりました。
この先ずっと大阪にいるのか例えば突然上京するのかは分かりませんが、自分の人生においてあの家で過ごす時間がこれ以上増えることはない。
良いタイミングなのか何なのかはよく分かりませんが、色々振り返ったり考えることができて良かったなと思っています。
説教くさく「親御さんや故郷を大事にしなさいよ」とか言うつもりはありませんが、たまには自分が歩んできた道を振り返ってみるのもいいかもしれませんよ。

「実家」はもう知らない人が住んでいて帰省することもありませんが、「故郷」はこの先もずっと滋賀県だと誇って生きていこうと思います。
「琵琶湖の水止めるぞ」という台詞は今まで一度も使ったことありませんが。

最後に。
数ヶ月前、Googleのストリートビューに写った実家をスクリーンショットして保存するという今までないがしろにしてきた実家に対する我儘な未練がましさが最後の最後に発動されました。

いつもありがとうございます。 弦を買ったりおいしいおやつを買ったりします。