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読み直し、あるいは積読解消のためのメモ(リスト) #1

私達を取り巻く世界のアルゴリズム化はどんどんと進んでいるが、一方で、私達自身がアルゴリズム的になっていないか

これまでと同じように、今だって答えは曖昧であることや、あるいは、答えがないことは沢山あるはずである。でも、多くのことを知ること、学ぶことができるようになってはいるが、一方で、知っているということをあまりにも当たり前のものにしてはいないだろうか?

そうした中で、何が正解か、不正解か、知っているか、知らないかで線引きしている。ただ、問題はそこだろうか? もちろん、知っておくべきこと、押さえておかなければならないことも沢山ある。だが、決して、Yes かNoか、1か0かだけが、解くべきことではないし(そうでないなら、全てコンピュータに任せればいい)、そうでないからこそ、決してどちら側にたっただけでは解決しないことだってある。

何を知ろうか。何を選択しようか。何を目指すか。何を話そうか。などなど。選択肢が多すぎる、自由すぎるが上に、逆に問題になってしまうこともある。だが、そこで失敗を恐れたり、失敗した人達を除け者にしたりして、失敗が人生にあるべきではないエラー値として処理しつづけ、誰もが正解だけを吐き続けるということはどの様な状況だろうか。

人生は短い。時間は元には巻き戻せない。やり直しもきかなければ、どんなことで命を落としてしまうかは分からない。だからこそ、大きな失敗はしたくない、なるべく理想的な値から選択ができるようにしたい。これは当然だと思う。だが、それを”当たり前”だと思い、さらには、それだけで目の前が一杯になってしまうのなら、つまり、正解だけを出すために調整し続けることだけが生きがいとなってしまったら、正解を出した後には何が残るのだろう。何をするのだろう。

なんか、そんなことが(これだけではない様な気もするが)頭に浮かんだので、上記のメモと何か手がかりになりそうな蔵書を残しておく。


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