アジアなのにアジアンヘイトがある日本社会

#StopAsianHate

日本で反差別、ヘイトスピーチに反対するのは難しい。
政治的な話や社会問題について語るのもハードルが高い。
政治や社会問題の話題をすると友達から敬遠されたり、ひどい場合は会社をクビになったり、社会から爪弾きされます。
ヘイトスピーチに反対するのはもっとハードルが高い。

私も長らく政治社会運動をやってきたが、何度も「やめてやる!」と思った。
友達は減るし、金なんて儲からないし、そうこう言ってる間に50代になってしまった。
拉致問題やウイグル問題に関心があった私は最初は保守として政治社会運動をはじめた。
最初は自由の翼という運動体を立ち上げ外国人参政権と人権擁護法案とレンタルパンダに反対してビラ巻きをやったりしていた。
そこから、ブルーリボン運動、皇統護持活動に参加。
政教分離のビラを配って宗教団体の青年部に追いかけられたり。
行動保守(そよ風)とも最初の頃は交流があった。

行動保守も当時はガッチリとしたものではなく、比較的ヘイト要素の少ない日護会、そよ風は自公連立反対で意気投合する部分はあった。
初期関西ウイグルデモの立ち上げには、キナくん、おつるさんと連帯。
関東ではスピネルさんやノリオちゃんが連帯していた。
イリハム・マハムティが呼びかけ。

しかし、私は東日本大震災で価値観のコペルニクス的転回が起きてしまい、脱原発、反米、反差別に転向していった。
保守から離脱するときにmixiにネットウヨクの足あとが1日1000件ぐらいついて嫌がらせを受けた。脱原発や反米を主張したことが裏切り行為と見なされたのだ。

保守の頃に交流のあった仲間や友人からは決別宣言されてブロックされたり、脅迫のようなメールがレイシストから届いたり、私も腹が立って、私からも殆どの仲間や友人と決別した。
そうこうしている内にブルーリボン運動やウイグル界隈とも話があわなくなり、離脱。
私は脱原発と反米に特化していった。

今でも、保守の頃からつながっているのはノリオちゃんひとりだけではないだろうか?
ノリオちゃんとも何度も喧嘩になり、決別しては合流したりを繰り返している。
そう、私も強調性が無いし、空気をよめないし、相当の我儘である。
物わかりが悪い。
なんとも申し訳ない限りである。

非常にややこしい私であるが現在に至る。
政治社会運動をやるということは何が起きるかわからないのである。
敵だ!と思った人が味方になったり、味方だ!と思った人が敵になったりするのが政治社会運動である。
運動界隈でも、そうなのだから、政治に関心を持つのは日本では難しいものだ。

こういう状況なので50%もの人達が選挙に行かなくなるというのも無理はないかもしれない。
政治が私達に優しくしてくれたことがあるのか?
政治なんて信用できないという人が半分近くいるという事だ。
そういう状況で日本では2万人近い人達が自殺してしまう。
やりきれないものだ。

#StopAsianHate

話を戻すが、政治に関心をもつことや、政治や社会問題について話をするのも難しい日本社会。
気がついたら、ネットには日常的にヘイトスピーチに溢れ、土日は街頭でヘイトデモが全国で実施されたり、本屋に行けばヘイト本が平積みされているという状況だ。

#StopAsianHate  

日本社会の日常に差別が浸透してしまった。
いや、元々、日本社会に内在していた差別がネットで可視化されただけなのかもしれない。
私も元々はネトウヨに毛が生えたような保守であったし、ヘイターであった。
自分の内なるレイシズムと決別するのに長い時間がかかった。

#StopAsianHate  

いや、多分、私は内なるレイシズムも今だに抱えているかもしれない。
いや、きっと抱えている。
私はマジョリティなのだから。
私は死ぬまで内なるレイシズムと戦う必要があるだろう。
そして、死ぬまで元ネトウヨ、保守であったことを、加害者であったことを反省しないといけない。

そういう自分であるが、自分を嫌いになる必要もない。

自分の加害性を認知して反省し、日々、生まれ変わるのだ。

自分なりに、自分やり方で、差別反対を、ヘイトスピーチ反対を訴えるのだ。

それで仲間や友人が減っても私はかまわない。

目の前でいじめられている人や差別をされている人がいるから。

#StopAsianHate  

目の前でいじめや差別をされて、苦しんでいる人を見て、知らんぷりをするをするのはやめよう。
そう決めたのだから。
レイシストの友達なんかいらない。
差別をしないだけではいけない。差別に反対しよう。
誰もが生きていける社会をめざして。
共に生きよう。

#StopAsianHateCrimes

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