齋藤飛鳥の乃木坂46卒業

 齋藤飛鳥は、加入してしばらくはアンダーにいる時期が長かったが、その頃から自分が必要以上に目立つことを潔しとしなかった。2014年夏にアンダーライブがシリーズ化されると、センターの重責を担う伊藤万理華の隣にそっと寄り添った。中元日芽香や北野日奈子とは哀しみを共有することで心の支えになった。
 アンダーから選抜常連になる過程も決してドラマチックではなく、美意識だけを抱えて時の流れに身を任せ、気が付くと独自のポジションを確立していた。実際、取材で飛鳥は「『アンダーを引っ張った』というイメージも『自分ひとりでのし上がった』というイメージもいらなかった」と語ったこともある。
 16年の夏、15枚目シングル『裸足でSummer』でセンター抜擢という、本人にとって想定外の出来事が起きる。3列目の端には、中元と北野がいた。全国ツアーを座長として回ると、生駒里奈を中心としたメンバーからの支えに対し、ライブ中のMCで感謝の言葉を素直に口にする。千秋楽である神宮球場で『裸足でSummer』を歌うと、想いがこみ上げて言葉が出てこなかった。その沈黙が、飛鳥の感情の動きを雄弁に語っていた。
 17年に憧れの女性と盟友がグループを去っていった。しかし、飛鳥は多くを語らなかった。その一方で、加入したばかりの3期生に対して、パフォーマンス中にヘッドロックをかけたり、ダンスの大きさをイジッたり、「なんで泣いてるの~」とからかったり、不器用なやり方でコミュニケーションをとろうとしていた。飛鳥の「やせ我慢」や「照れ隠し」には人間くささを感じてしまう。
 19年秋にインタビューした際、卒業した「お姉さんメンバー」たちに自分の想いを伝えきることができず、どこか消化不良な部分があったと飛鳥から聞いた。後輩の話になると、18年末の『レコード大賞』で心を動かされた大園桃子に「先輩なのに話を聞いてあげるくらいで、何もしてこなかった。私が『乃木坂も悪くないな』と思わせてあげたかった」と後悔を口にした。
 21年夏、大園の卒業コンサートで、飛鳥は「卒業おめでとう、を言う前に、直接ずっと言いたかったことがあります」と切り出した。あの日の心残りを告白すると、「力不足な先輩で本当にごめんね」と謝った。
 その頃に飛鳥を取材すると、「私も中学生の頃は繊細だったから、繊細な子の気持ちを想像してあげることはできると思って。彼女たちが仕事をしやすいように『楽しませてあげたい』『居心地よくしてあげたい』という気持ちがあるんです」と話した。
 22年秋、個人仕事を抑えて、後輩を影で支えながらグループ活動に重きをおいている飛鳥に、僕は取材中に「乃木坂にすべて捧げるつもりじゃないですよね?」と勝手に心配すると、ケラケラと笑って否定した。その1カ月後、飛鳥はグループからの卒業を発表した。
 12月31日のNHK『紅白歌合戦』で、飛鳥は卒業コンサート以外のグループ活動を終える。紅白で歌う曲は『裸足でSummer』だ。

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