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夕暮れどき


わたしのおばあちゃんは昔からお花が好きだ
玄関先やお家周りには
いつもお花が咲いている



こんなにも
ばあちゃんがお花に興味をもって
お花が側にある暮らしを
味あわせてもらっていたのに
幼少期は全然お花に興味はなく
いつも その目の前にあるお花より
もっともっとと 目に見える
世間がつくり出した幸せとは
みんなが想う可愛さとは
みたいな 表面上のことばかり考えてたとおもう




だからよく
外で遊んで帰ってきたわたしに
ばあちゃんが
「玄関見てなにも氣づかんかった?」
「お花変えたの分からんかった?」
と嬉しそうに話しかけてくれたことにも
見た目ばかり氣にして 着飾って
どこかとんがってたお年頃のわたしは
「知らんわ〜」「氣づかんかった」
とそっけなく返事をすることもあった
ばあちゃん ごめんね







ありがたく生かされて30歳になった今
お花がこんなにも綺麗に咲いている
実家の玄関先はとても豊かなことだと
氣づけるようになった
お家はいつも綺麗とはお世辞では言えないけれど
玄関先だけは いつ帰ってきても
綺麗で氣が整っている氣がする





そんなある日の夕暮れ
夏至もすぎ 夏が近づく音と香りが漂いはじめる
夏の夕暮れが好きだ
ばあちゃんがお花の苗を沢山持って帰ってきた





実家の夕食時間はとてつもなく早い
昔からこれは変わらない
だから夕食後はまだ日は暮れず今の時期なんかだと
まだまだ明るい





思い返せば ばあちゃんは昔から
夕食後にお花の水やりをしていたなぁ
氣分がのったから一緒に定植することに



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土をまき 持ってきたお花をポットのまま並べ
配色や位置を考える
バケツの水に苗をひとつずつ浸し
土に穴を掘り 植えていく
ばあちゃんは本当にお花が好きなんだなぁと
そんなばあちゃんがお花を植えていく一連の流れを
見ながら感じた




きっと 
ばあちゃんはそんなこと考えてないだろうけど
ばあちゃんはお花と会話ができる人だとおもう
だから こんなにも綺麗にお花が咲いてくれる



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どこかわたしは昔から達観している部分があって
最近は さらにそれに磨きを増したなと
自分でもしみじみおもう
こうやって ばあちゃんとお花を植えながらも
どこか もうひとりの冷静な自分がいて
〝あぁ このばあちゃんとの今も こうやって過ごせる時間も最期になるかもしれないんだなぁ〟
って考えてたりもする




必ずこの尊いばあちゃんとの時間が
ばあちゃんがお花を奏でる姿を見ることが
明日も明々後日も1ヶ月後も半年後も来年の今日も
必ず感じることも見ることも
絶対できるなんてことはない





これは高齢のばあちゃんだからって
話しではない
みんなそう
だからこそ そのことに氣づけると
この少しオレンジがかった
この町で見る夕暮れも
虫の音も ばあちゃんのことも
今 がとてつもなく大切で
ないものなんてなにもないなぁっておもう




毎日 自分がつくりだしてしまった
苛立ちも不安も悲しみもモヤモヤでさえも
愛おしくさえ感じる
そんな感情でさえ 奇跡なんだから
過去綴ってきた人生の物語が
今の物語をつくり
今どう物語を愛をもって綴るかで
未来の物語もかわる
未来の幸せのためにではなくて
今自分の捉え方を変えて
小さな幸せを感じれるか
平凡な暮らしこそあたりまえじゃないってことに
どれだけありがたさを感じれるかなんだろうな
今 笑えてないなら
きっと未来も笑えてない




だから今日も笑おうとおもう
なにか楽しいことないかな〜じゃなくて
きっと楽しいことも幸せも見ようとすれば
わたしの隣でいつも微笑んでくれてるんじゃないかな








今日も愛と感謝を込めて🕊

ありがとうございます🥰