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必然で自然な流れのなかを泳いでゆく先に

諸行無常とゆうことばがある。

諸行無常とは、仏教の教えの一つで、全ての現象や事象が常に変化し、永遠に不変のものは存在しないという考え方を指す。これは、生老病死といった人間の生涯や、四季の移り変わり、日々の天候の変化など、目に見える全ての現象が絶えず変わり続けていることを示している。また、この考え方は、物事に執着することの無意味さを説き人々に無情の理解と受けいれを促す役割も果たしている。

Wikipediaより。



ある日お掃除をさせてもらいながら、この状況や環境がずっと続くわけじゃないよ。って声が自分から聴こえた。それで、そーいえばそんな感じの仏教言葉があったなと思って〝諸行無常〟って言葉をひっぱりだしてきた。



今感じている感情だって、起きてる出来事だって永遠になにも変わらない変わっていかないことなんてないと知る。


出会いが多い人生な分、別れも多い人生なのだ。
今どれだけ愛しあっていたとしても、関わりが深かったとしても、それがこの先もずっと一生続いていく保証なんてなにひとつない。
だけどそれは、悲しいことではないことを
何度も繰り返すことで分かったこと。


自分のフェーズが変われば出会う人も
関わり合う人たちも変わってゆく。
それは、お互いにとって前向きなお別れ。
相手はどう感じ受けとってるか、わたしはわからないけれど、いつもあなたのあの子の、あの人の幸せを願い祈ってる。


重たいものは、のせない。
軽やかにふわっと想いつづけてる。



もちろん、フェーズが変わっても同じように高めあって変化変容しあえる人たちもいるし、何年も会ってなくても会えば一瞬でその時間を埋め合える人たちもいる。



そんなこんなで、ここ最近わたしの内側で変化があったもの。今一緒に時間を過ごしあってる人たち今日出会う人たち、一緒にしごとをしている人たち、食卓を囲み美味しいねって言いあえる人たちそして、何よりもいつも一緒にいる自分との
今ここを楽しんで、おもしろがって、楽しんで
大切に大切に生きようって、これまでよりも強く深くおもう。



距離でもなく、言葉でもなく、どれだけ連絡とりあってるかとか、仲間とか、好きとか、合う合わないとかそんなものではなく
今、目の前にいる人とか隣にいる人との時間
この尊き瞬間、瞬間をどれだけ感じて笑いあって息あえるかやなって感じてる。



そんな風に、自然と思えるようになった時
〝孤独〟なんて言葉はわたしのなかから剥がれ落ちていった。ありがとう。



人生とは必然で自然な流れの中を泳いでいて
そんな風に、腑におちたとたん現実はまたひとつ変わりはじめる。



たまたま一緒にドライブしながら、ランチして美味しいケーキ食べあってくれた子が運転する助手席に乗りながら、やっぱりそうやな〜なんて心底感じたとある休日。楽しかったな。



出会う人は、自分をみせてくれる。
人生は自作自演。
9月に出会う数々は「人生においておもしろいこと今体験してるよね。まぁ、あえてこんなこと別に体験せんでええかもやけど」なんて
笑いながら話せる人達ばかりで、出会うべくして必然的に出会ってんなーって感じてる。



どんどん、もう必要のないこだわりやエゴや我みたいなもんが抵抗なく自然と剥がれおちてく日々。



誰かの喜びになり、誰かのかゆいところに手が届き見えるところだけじゃなく見えてないところの
ひとつひとつの積み重ねが、またひとつ誰かの笑顔をうむ。
そして、それがわたしの喜びになると同時に
心も身体もお金もどんどん豊かになっていく。



ほんまに、ありがたいなと感じる日々です。



いつもいつも、ありがとう。
素敵な出会いに恵まれてるこの人生をいっぱい活かしてゆこう。もっともっとわたしは誰かの傍を楽にしてゆく。もっとゆうならやっぱり私は、
今一緒に息あってる人達が、笑ってくれることが心底好き。笑顔になってくれることが、心の底から私の喜び。だから私からさ、何があったって人生をおもしろがって楽しんで、もっと笑っていこうとおもう。



与えてもらって
生かしてもらってる。
だったら、とことん自分を最大限に活かしてお役に立ちつづけて、目を静かに閉じ微笑みながら息をひきとりたいんだ。この地球に来てよかったなーって、走馬灯のように浮かぶひとりひとりの笑顔とさよならするの🤲



ここを選んでよかった。
ここを選択した自分にハグ。
そして、何よりも
ほぼ毎日一緒に働いて、ささやかな出来事におもしろがって笑って、小さな優しさとか、ほんのちょっとした言葉や行動に心を優しくさせてもらってる、そんな今の自分と出会ってくれた人たちに感謝してます。




心からありがとう。🫶°

ありがとうございます🥰