未来への時間はある

 自分にないものを数えだすときりがありませんし、これまでやってこなかったこと、実現できなかったこと、もう少しうまくできるはずだったことを思い返すと、悔いが残る生き方をしてきたと捉えることも可能です。 

 20年、30年は過ぎてしまえばあっていう間であって、ただ、当時漠然と思いを抱いていたように、時代とともに移り変わり、まとまっていた集まりはほどけ、幸せそうだった人々も年を経て、既に現役を引退、どころか世を去ってしまった人も少なくありません。思い出の中の自分は未来を予測しておらず、いかに無邪気であったかと知らされます。学生時代に炎天下、気持ちを高めながら歩いた経験も、大人になっても、そこから変わらない光景を見ているようでいて、そうした見慣れた光景から自分が離れて、すでに3年近くなるのかと思うこともあります。

 令和というのは目まぐるしく幕開けして、その後の自分は大きな渦に巻き込まれて、さまざまな環境変化のタイムマシン空間のようなところを何か自分ではない力に押し出されながらたどり着いた感じであり、結果的にそこは自分にとって致命的な環境ではなかったものの、過去の延長線上にあった多くの自分の行動とか生活が、その間に変容して、二度と令和の幕開け直後の岸辺には戻れないのだなと実感します。

 とはいえ、まだ自分には、未来に使える時間が残されています。自分の今の生活を成り立たせている仕事は、自分の一日のすべてを押しつぶすほどの圧迫感はなく、母の今後の家探しも、どうにもならない火急の事態というわけではありません。家族は今のところ恙なく健やかで、もちろん一寸先は闇ですが、家族に猶予をもらっていると感じます。自分の未来の不安とかまで抱えていては、動けなくなってしまいますが、そこはまだ置いておいて、ただ、そうした人生折り返しと考える中での長期スパンへの備えをするための武器は手に入れています。あとは人とのご縁です。自分から発信していかなくては、手に入らない、幸い、僕は二つの名前を手にしていますので、そこから、世間的な匿名性を活かしつつ、別人格の自分にも、何か社会性を付与していきたいと思います。

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