まずは一つ乗り越えるしかない

 朝に襲ってくる不安の波は相変わらず続いており、夢もそれに同調して現実の不安を増幅する作用を強めています。仕事を置いてくるとか忘れるとか思っても、直近のストレスフルなイベントに責任者として対処する不安と、自らスケジューリングした案件が予定どおり運ぶのだろうかと、心配になってしまうことで、朝は以前よりも重く苦しい目覚めの時になっているような気がします。すでにメンタルクリニックに通院している僕としては、主治医にそのことを訴えても良いのだと思いますが、だから休むとか、仕事を外してもらうとか、そういうわけにはいかない。保護膜の中にいた今年の3月までは、そうした「退行」も許されたのでしょうが、今は保護膜を外す認定がなされ、ストレスフルな環境に置かれており、再び保護膜に入ることは、いろいろな人の期待を裏切ることになります。

 アドラー心理学の「課題の分離」を行えば、他人の期待は満たす必要がないと切り捨てることができるのですが、それは自分が重荷を下ろす行動を選択することになり、さすがに今の段階で下ろすことはあきらめが早い、まだ何もできていないし、他者がやっても今以上のパフォーマンスを挙げられた人はいなかっただろうと思うと、多少、考え方に齟齬があったぐらいでへこたれていてはいけないのだろうとは思います。

 ただ、保護膜から出た自分は、そんなに強くもなっていないことを、自覚させられ、そこは自分の中での自信喪失につながっています。ハリボテの自信で乗り切ろうと思いましたが、そうは問屋がおろさないようです。とはいえ、打席にも立たないで引っ込んでしまうのでは人生を勝負していないことになります。これまで2年近く、復帰の過程で自分の人生の変化変容につながる物語の紡ぎ方、あらまほしき目標の設定、目標に向かって行動し続けるための日々の行動や経験の意味付けと、そこから生み出される自己肯定感を高めるための取り組みといったことは、繰り返し自身の魂に叩き込んだところであり、今まさに、そこを他人事と聞き流すのではなく、我が事になってきている、そういう修羅場に立たされている、すべての知識と経験をもって、研ぎ澄ませた感覚で新たな世界を拓いていく、これは単に与えられた組織人としてのタスクをこなすという、その場しのぎの話ではなく、その後のあらまほしき世界へ自分が飛躍するための重要なステップとなる、いよいよ、人生が本気で僕に挑んできたなという気持ちで、心を立たせて気を入れて対応する、それにより、一つの困難を乗り越え、不安の波を押し返していきたいと思います。

 こういう不安な状況下では、自分の力を信用できず、とかく何かの威を借りたい衝動にも駆られますが、そういう威を借りて成功を担保し続ける人生からは飛躍は生まれませんので、まずは自分の足で打席に立ち、そこで空振り三振を4打席ということになれば、あきらめもつく、そこから別な物語を紡いでも遅くはないでしょう。

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