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人生は虚空 自分しか鍵を持っていない

 実は、ピーター・フランクルの名著「夜と霧」については、今から1年ぐらい前に一度、記事を書いたのですが、昨日、非常にしんどい思いをして、今週は、これまた、非常にしんどいイベントが控えており、フラットに構えていると、二つの苦しみから挟撃されて、メンタルが押しつぶされそうになるので、あらためて、この本を読み返すことにしました。
 やはり、読み返しても秀逸だと思うのは、「私たちが生きる意味を問いかけるのではなく、生きることが私たちに、時々刻々、生きることを問いかけている、それに対して私たちは、行動や態度によって、正しく答えなければならない」というところですね。
 誰かが自分の人生を好転させる種を持ってきてくれるはずだ。自分は年を取っているから、能力がないから、お金がないから、忙しいから、周囲の人や環境に恵まれていないから、自分では、どうすることもできない。
 他人は羨ましい、お金もあるし、人間関係にも恵まれているし、健康だし、幸せそうだ。それに比べて自分は不幸だ。不幸な人間は自分で這い上がる力がないから、誰かに助け起こしてもらわなければ、動けるはずがない。
 おそらく、自分の中で答えを持たず、誰かに自分の人生の意味付けを求めている限りは、こうした不幸の観念の遊戯に囚われて、人生を好転することができないでしょう。
 人生は虚空のようなもので、問いかけても決して答えは返ってきません。時々刻々の人生において、そこがいかに不幸に思える環境下であっても、そこで人生が終わってしまうかもしれません。答えを待っているのは、いつまでも生きていられると勘違いしている証左です。
 明日がたとえ辛い日であったとしても、辛い日が人生最後であるなら、不幸の物語を一人紡いでいる場合ではなく、行動し、最善を尽くして、人生からの問いかけに応えなければならない。厳しい道のようにも感じますが、人生好転の鍵は自分しか持っていないわけで、自分が動くことで他人との縁ができて、その縁が人生を変える、そうしたことも起こるわけです。
 ともすれば、忘れがちになる、人生の大事なことを、思い起こさせてくれる本だと思います。

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