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同じ空を再び見るまで

 秋の日はつるべ落としといいますが、暦年も、9月を過ぎると年末まで急速に進んでいくように思います。夏までは朝に目覚めるとカーテン越しに明るさを感じましたが、9月に入るとカーテンを開けてもまだ街灯がついています。超朝型の僕は、夜が早いというより、夜明けの遅いことに、夏から秋への移行を感じます。
 一年は人生において短くはないのに、一年前のことは昨日のことのように思い出されます。

 現在進行形で心を砕いている事案の多くは、だいたいが過去からひきずって解決の難しい問題やその変化形、続編であり、そうした事案はすぐに呼び出せるメインメモリを常に占有しているため、過去のしんどい思い出は、それこそ嫌でも思い起こされてきます。

 既に解決した問題が心の奥底にしまわれるのは、メインメモリーに限りがあるので当然必要なわけですが、何気なく、楽しく過ごした思い出も、自分の心に刻み付ける力が弱いようで、日々の記憶領域からは、洗い流されてしまい、奥底にしまわれてしまうようです。

 最近は、「9月13日の三年前」のように、スマホで撮影した過去の写真がウェブ上に自動保存されており、それが表示されることで、良き思い出も自分の心に再生できるようになっています。デジカメ、スマホで写真を気軽に撮影できるようになったものの、ハードディスクの中に保存されてしまうと、それは図書館の蔵書が整理されずに保管されているようなもので、探し出すのに苦労しますし、日々の生活に上書きされるため、こうした機能は自分にとっては振り返りの機会を得られ、ありがたいです。

 昨日は珍しく穏やかな一日でした。

 また、911の時にお世話になった大学の先輩が、今朝配信したメルマガで、同じように911のことを書いていました。当時は同じ空を眺めていましたが、今は立ち位置が変わり、僕自身が一所にあってキャリアを積み重ねている中で、早くに拠り所を失った先輩は向こう岸に飛び移り、橋頭堡を築いていつしか堅牢な城を構築し、安定した経済基盤を確保して、さらなる橋頭堡を新天地に作り、リスク分散をはかっています。

 もちろん、こうした努力の裏返しに、先輩は得られなかったものもあり、僕は一所に留まることで得たものも多いのですが、これからの時代、一所に留まること、拠り所を一つに定めることはリスクでもあります。

 メルマガにそうしたことを返信しようとしましたが、やめました。実践により、実践の先で、再び先輩と同じ空を見ることを心に誓い、今日も気を入れて一日を過ごしたいと思います。

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