社会の正常化に抗う個性

 感染者数は増えていますが、社会全体で感染防止対策に取り組んでいる現在の状況に終止符を打ち、インフルエンザと同様の対応を取るべきではないかという意見があります。今後の更なる変異による重症化率の変化や、後遺症など、現時点で「脅威は去った」と言い切るには材料が不足している面もあり、すぐにそうした方向にこの国が舵を切ることはないと思いますが、1、2年のスパンの中では、社会全体で階段を一つずつ降りていき、最後に感染症の分類を変更する、そうしたプロセスを踏むのではないかと思います。
 そうなれば、2019年以前の状況に全てが戻るかと言えば、オンライン前提の業務プロセスの改革を進め、オフィスを縮小した企業はテレワークを継続するでしょうし、季節の節目で当たり前のように行われていた、大人数での飲み会というのもやらなくても業務に支障がなかったわけで、この数年間で蒸発した需要の相当程度は戻らないのではないでしょうか。

 僕の場合は、そもそも、ノンアル前提でのライフスタイルに慣れてしまっており、それは単に、これまで惰性的に続いていた飲みにケーション的なものとの決別を意味するだけでなく、アルコールを減らすことにより、人生の時間の使い方の効用を増すことの楽しさを覚えたことを意味しています。

 社会が元に戻っても、この部分だけは戻したくない、飲みたくてしょうがない人や、功成り名を遂げて飲むことぐらいしか時間を使うことがない人に付き合わされることは、正直、ごめん被りたいのが本当のところです。もし、こうした古い体質の巻き返しにそのまま飲まれてしまうようでは、この3年間、何をやってきたのかということになります。

 人間、できれば自分が人より突き抜けたものを持ち、その一強の力により、本来のポジションでは実現できない力を手に入れ、一段高い世界から世界を俯瞰することが、人生において尊厳をもって生きることにつながります。組織は案外、考えなしに安売りしようとしますので、自分の中にそうした組織の取り扱いに抗う骨がないと、たたき売りをされてしまいます。

 突き抜けた知識や知見もそれが個人にだけ帰する価値であれば組織はその功績は無視します。そうしたなれ合いの日常が戻れば、歯車に組み込んで平然としている。それは敢えてやっているのでなくて、個性を生かしている余裕がないからです。

 ビジネスで求められるニーズに応えることが出発点であるのは、どんな業種や業界においても同じであり、ニーズと磨いた僕の中にある突き抜けているものをマッチングさせることで、なるべく自分を高く売って、自ら果実を得て周りにとっても希望を持てるようにしたい。

 簡単ではありませんが、目標を掲げ続け、実現させたい、どうやらゴールは見えており、そのゴールを過ぎれば自分の付き合いを自らで規定できるようになる、それを夢想して、日々の生活を捨てず諦めず過ごしていきたいと思います。

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