ゆでがえる

 自分が今いる場所を正当化しようとするバイアスが常にはたらきますので、他にも可能性があるように思えても、これまで親しくしてきた仲間がいて、生活の基盤もあって、新天地には何の確証も保証もないし、ゼロから生活するために持ち出す財も十分でない、そうやって居続ける正当性をいくらでも見出せる、そうこうしているうちに年が明け、出会いと別れの季節を迎え、慣れない新たな職場での2カ月を過ごし、夏の訪れを感じる6月に至ってしまいました。

 自分の変化を望みつつも、日々の変化はわずかであり、その間にも確実に、浸かっているお湯の温度が上がっています。温度が上がることで一時期はしんどくなりますが、慣れればその温度にも耐えられるようになっている。これを成長とみなすか、キャリアに応じた職責を果たせるようになると、ポジティブに捉えることはできるのですが、新天地に一度も踏み出していないし、自分の評価を客観的に受けたこともないので、そこは一世一代の賭けになります。

 キャリアコンサルをする人たちも、変われるし、飛躍できると語ってはいても、守るべきところは守る、生活の基盤あってこその挑戦という言葉もあって、結局、自分の独断で動くしか事態を変えることができない。伴走者は、一定の軌道に乗った時に現れるものであり、ゆでがえるがお湯の温度の上がるタイミングで違和感に気づいて、釜から飛び出すときは孤独です。何かが揃ったから出られるわけではないし、自分を変えることは辛いことと、人生のある種の懐かしさとの決別だと、ここまで来て知らされました。

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