コロナ禍での若い女性の意識変容、克明に描く 青年団リンク キュイ「あなたたちを凍結させるための呪詛」@アトリエ春風舎
青年団リンク キュイ「あなたたちを凍結させるための呪詛」@アトリエ春風舎を観劇。中野坂上デーモンズの松森モヘーの演出・出演によるひとり芝居である。戯曲を担当しているのは綾門優季(青年団演出部)だが中野坂上デーモンズは青年団系の人脈とは少し離れたところにあり、どういう経緯で今回の組み合わせが実現したのかは興味がある。綾門の戯曲は若い女性の一人称の文体で書かれている。企業内のパワハラ、セクハラなどの人間関係のトラブルやそういう中で女性であることの生きにくさ、閉塞感などがビビッドなタッチで描かれている。主人公の女性は現在付き合っている彼と破局寸前である。そしてただでさえ際どい会社内の人間関係がコロナに感染したことで、危機的な状況に至りつつある。そうしたことが赤裸々に描かれているのだが、この作品の場合、男性である綾門がそのテキストを書き、男性の演出家、松森モヘーがそれを演じるというジェンダーのねじれが刺激的な効果を生んでいる。
松森はことさら女性を女性として演じるということはなく、淡々と語りかけるように演じる。そのため演じられた女性が直接そこに役として立ち現れるというよりは、女性男性を超越したニュートラルな存在としてそこに存在する。その一方で提示される関係性により女性ということが了解されるような少し複雑な構造になっている。
おそらく、主人公のイメージに近しい若い女優がこの役を演じたとするならばよくある女優のひとり芝居のようにしかならないと思われる。そうではない枠組みを作品に与えたことで、テキストには戯曲の作者である綾門がコロナ禍で感じたことや演じている松森が感じたことが二重重ねになるような仕掛けにもなっていて、舞台としてはそこが面白いと思う。
コロナ禍も3年目を迎えて、以前出演者らの感染による公演中止が相次ぐ一方で、作品は「コロナなどなかったかのような」内容のものも増えている。そういう中で綾門優季はコロナ禍により繰り返し公演自体が中止になったのみではなく、無観客で上演される作品の上演を行うなど活動がコロナに直撃された作家だったといえるかもしれない。女性の一人称という意味ではフィクショナルな作品と言っていいが、コロナによる意識の変容をこれほど克明に描いた作品はきわめて珍しいのではないかと思った。
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