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鎮安、世界一大きいハサミと恋人たちと将軍(2023年5月)

 数年ぶりに全州国際映画祭を訪れた。遠い国の最新映画を朝から3本連続で観て大満足の私。このインフレ時代に2万Wという地方ならではの激安モーテルに泊まり、明日もいっぱい映画を観るぞと意気込んでいたものの、ふと明日の予定が埋まっていることに嫌気がさし、日付が変わる前に全てのチケットをキャンセルしたのだった。前日までキャンセル無料というのが、韓国映画祭の良いところであり悪いところでもある。
 朝起きて、さあ何をしようとネットで地図を広げる。わくわくするとともに、私は一体何をしているのだろうとうんざりする気持ちも立ち上がる。毎度のことだ。
 全国の気になるスポットは既にいくつかチェックしてあった。全州の右隣にある町・鎮安(ジナン)に一度も行ったことがないことに気づき、ひとまずそこを目指すことにした。
 鎮安は全州市外バスターミナルからバスで50分。なおソウルからの直行便は少なく、直接行く場合も全州を経由するのが最適解となる。

やってきました鎮安
食器店。雨が降ったらどうするのだろう

 バスが鎮安の中心部に近づくころ、メインストリートに朝鮮人参の形をした街灯がずらりと並んでいるのが見え、ようやく旅のテンションが上がってきた。どうやらこの町の特産品は朝鮮人参らしい。バスターミナルに降り立つと、さっそく朝鮮人参の店が目に飛び込んでくる。
 ターミナル前にはこじんまりとした在来市場があり、少し歩いてみたが徒歩圏内の見どころはこれくらいのようだ。病院や薬局以外でのマスク着用義務が解かれた最近、ソウルでもマスクをしない人は増えつつあるが、地方都市の人たちはそれに輪をかけて全くマスクをしていない。
 昼食は、ターミナルのすぐ裏手にある「シゴル(田舎)スンデ」を目指した。韓国で最も有名な料理人、ペク・ジョンウォンがユーチューブで紹介していた店だ。営業時間は11時30分から2時30分までのたった3時間。実は昨晩もスンデ(腸詰)を食べており、それほど食指は動かないが、今を逃したら次はないと考え足を運んだ。

民家に囲まれるシゴルスンデ

 店の外にも中にも派手な広告や看板はなく、メディアで紹介された店という様子が全くないのが好印象。旅人は私だけで、地元の人たちがのんびり食事を楽しんでいる。注文したスンデグク(腸詰スープ)は、ちょっと信じられないくらいうまかった。本物の豚の腸に、血の塊が詰まった肉々しいスンデ。ソウルで食べていたグミキャンディーみたいに弱々しいスンデは何だったのかと思わせる。ペク・ジョンウォンをただの事業家だと思っていた私は、彼のことを思わず見直した。
 ところで店を出てメインストリートに戻ると、すぐ目の前にペク・ジョンウォンの経営するコーヒーチェーン店「ペクタバン」があった。事業家としてもすげえと思った。

スープではなく肉の塊を食べていると思わせるスンデグク
チェーン店のあまりない町に突然現れるペクタバン

 ともかく、鎮安を目指した最も大きな理由である「鎮安ハサミ博物館」を目指してタクシーに乗りこんだ。そこには世界一大きなハサミのオブジェがあるというのだ。何だそれ。
 タクシーの中、運転手はしきりに「馬耳山(マイサン)に行きなさい」とお勧めしてくる。進行方向にはドラゴンボールに出てきそうな、嘘みたいにとんがったお山が綺麗にふたつ並んでいた(トップ画像)。その687mの霊山こそ町を代表する観光スポットで、ミシュランのグリーンガイドで星三つを得たとか。
 オブジェなど人間の営みは気になれど、自然物には特に興味がない私。あんな険しそうな山、簡単には登れないでしょと丁寧にお断りしたところ、「ハサミ博物館の裏に登山口があって、そこからなら小学生でも1時間で登れる」と運転手は言う。ぐぬぬ、断りづらくなってしまった。
 タクシーは10分ほどで馬耳山の中腹にあるハサミ博物館の前に到着。車を降りると、目の前に世界一大きなハサミのオブジェが屹立していた。
 どーん!

どーん?

 大きさは2階建てほど。資料によると高さ8.9mとある。世界一大きいと言っても微妙な大きさと言える。これはハサミという微妙にニッチなテーマを選んだことが勝因であろう。説明によれば、博物館に世界一小さいハサミがあるから世界一大きいオブジェを作ったそうだ。ならばオブジェではなく、世界一大きい本物のハサミを作っても良かったのでは?
 とはいえ刃物の部分は実際にステンレスでできており、リアルなハサミが大自然に囲まれ屹立するという構図がシュールで素晴らしい。ハサミの上にぶっささる僕たちの地球も、メッセージ性がありそうでなさそうなのがぐっとくる。ハサミが地球を救う? いや、刺さってるし。この感じ、地方のテレビCMで企業名とともに地球がぐいーんと飛んでくるのと通じるものがある。町おこしは、こういう軽やかなものでなくては。
 博物館は二階建てで、世界中のハサミが所狭しと展示してあるが、それぞれ小さいものだし、そもそもハサミに関心があったわけではないので、見学は一瞬で終わってしまった。戦争中に使っていた手術用のハサミとか、インドの巨大な殺人ハサミとかにぞっとする一方、壁に貼られたマーベルのキャラクター、ウルヴァリンの写真にずっこける。

ウルヴァリン。ハサミなのか

 博物館を出る。親切なタクシーな運転手に申し訳なく思いながらもやはり馬耳山に登る気持ちにはなれず、山を背に坂道を下った。実は鎮安で気になるスポットが、博物館の徒歩圏内にもうひとつあった。散策路「恋人の道」である。ここにもナイスなオブジェが並んでいるらしい。
 散策路の入り口にある看板によると、ここはかつて馬耳山に向かう唯一の道だったそうで、馬耳山を夫婦に見立て恋愛成就を願う人も多かったことから、2002年に「恋人の道」と名称を変更。あわせて道なりに「恋愛の発展段階を形にしたオブジェを設置」(看板より)したそうである。何だそれ。
 道の入り口には、ハートが実る木や、指で作ったハートマークを模した、さもありなんなオブジェが軽いジャブのように置かれている。これは最初のオブジェ群「出会いの広場」だ。あまり気にせず坂道を登っていく。

「恋人の道」の最初のオブジェ。チープさに期待が高まる
ここには8つのオブジェ群が準備されているようだ
あれが2番目のオブジェ?
誰?
誰なの?

 ハート形の石や、赤字で「恋人」と書かれた石などを横目に、山道をずんずん進んでいく。やがて周囲の藪が深まり、雑草に覆われるベンチを横切ったころ、ようやく金の人物像が現れた。2番目のオブジェ「スマイルゾーン」だ。
 微笑をたたえるリーゼントの青年が、両手両足をがばりとひろげている。純朴そう、あるいは眼光に怪しい光を宿すようにも見える彼。ここから彼の恋が発展していくのだろうか。銅像の横にはわざわざ説明が添えられていた。「恋人たちが初めて出会った時の、明るい微笑と笑いを演出」だそう。このわざわざ感が韓国のオブジェである。
  そこから少し歩くと次に現れたのが、3番目のオブジェ「抱擁ゾーン」。さっきのリーゼントの男性と、新しく現れた長髪の女性キャラが、静かに抱きあう。

しかし、ゾーンって何だ
つるんとした下半身

 良かったな、リーゼント! リーゼントのお尻の割れ目がぷりっとしていてズボンを履いてないように見えなくもないが、さすがにこんな序盤から半裸ということはないだろう。説明には「愛を約束し優しく抱きしめ合う形のオブジェが、温かさを連想させる」とある。
 しばらく山道を歩くと、4番目のオブジェ「口づけゾーン」が出現。背中に重い物を担ぐような不自然な角度で腰と腕を曲げ、鼻先を合わせるふたり。どうしてこんな姿勢なのか気になるが、とにかくふたりの愛はさらに深まっているようだ。

新手のストレッチだろうか

 やるじゃん、リーゼント、と思ったがよく見るとリーゼントではない。愛の力によって彼は更生したのだろうか? キスにリーゼントは邪魔、という単純な理由によるものかもしれないが、ひょっとしたらそもそも全くの別人なのかもしれない。
 おなじみの説明を確認。「恋愛を始めた恋人たちが恥ずかしそうに口づけを交わす切ない姿を演出」だそうだ。銅像の写真を様々な角度から撮りまくる私の横を、本物のカップルが無言で通り過ぎていく。
 さらに山道をぐいぐい進む。木陰に現れたのは5番目のオブジェ「キスゾーン」だ。また接吻か。

ぐへへ
この顔

 しかし今度はさらに大胆。かつてのリーゼントはまたもや悪そうなホスト風の髪型に変わり(やはり別人?)、女性に覆いかぶさる。彼女、ちょっと嫌がってないか? 男の悪そうな笑みも印象的だ。説明を見ると「愛する恋人たちがキスを交わして深い共感を交わす姿を演出」とのこと。演出、って言われてもなあ。
 オブジェは全部で8段階あるそうだが、5番目でこれなら、今後どこまで激しくなっていくのだろう。ひょっとして××シーンや××シーンも?
 そしてキスシーンよりも前に、映画館で手をそっとつなぎ合うとか、ペットボトルで間接キスしちゃうとか、何か抒情的なシーンを入れることはできなかったのだろうか。改めて思えば、スマイルの次にいきなり抱擁なの、展開が早すぎないか。
 そんなもやもやした思いを抱えていた時に現れたのが、6番目のオブジェ群「ハートゾーン」である。

どこで?
何を?
誰と?

 うつろな目をしたマッシュルームヘアが、女性と両手で大きなハートの形を作っている。このソフトな表現はいったい? ひょっとして××シーンや××シーンを暗喩している? 横にある「メモリーオブラブ」という岩も曖昧だ。説明を読むと「ひとつとなった心で愛を約束する、ハートの形を演出」とあり、やはりはっきりしない。
 出発からもはや30分。歩くのもだいぶへとへとになってきたころ、道の最後にちょっとした広場が現れた。そこにあったのは7番目のオブジェ「プロポーズゾーン」だ。
 もはや最初のリーゼントとは全くの別人かもしれない男が女に花束を渡し、物語は大団円。説明には「愛する恋人に花束をあげて未来を約束するプロポーズの姿を演出」と、そりゃそうだろうということが書いてある。

プロポーズ。これで愛の物語はハッピーエンド……
……かと思いきや?
誰?

 そしてその後ろには最後のオブジェ、馬に乗った勇ましい将軍の像が。なぜ将軍?
 8番目のオブジェは、その名も「李成桂」(李氏朝鮮の始祖)。意味が分からず説明を読むと、「馬耳山の恋人の道を歩いて愛を成就すれば、素晴らしい人物が誕生するという物語を込めた」と書かれている。つまり、ふたりから生まれた子供が将軍になったということ? 過激なのにもほどがあるのでは?
 「恋人の道」はこの公園で終わり。さらに先へと続く山道を歩けば馬耳山頂上に到着しただろうが、将軍様登場のあまりのインパクトに大敗を喫した気分になった私は後ろを振り返り、再び同じ道をたどって下山した。道の最後にはスマイルゾーンの、まだ愛を知らない笑顔のリーゼントがまだそこにいて、私は少しほっとするのだった。

 山を下りきったあたりはちょっとした観光団地になっており、土産物屋や飲食店が並ぶが人の気配はない。バスターミナルへと戻る市バスの時間を聞こうと観光案内所に立ち寄った。係のおばさんは、日本から来たと私が言うととても嬉しそうだ。コロナが深刻だった間、この町には外国人観光客はほとんど来なかったのかもしれない(「馬耳山はどうでしたか?」と聞くので、ハサミ博物館と恋人の道だけ行った旨を正直に伝えたところ、微妙な表情をした)。
 バス停は道路の反対にあり、1時間に1本しかないバスがもうすぐ来るから見逃さないようにと丁寧に教えてくれる。彼女の話によると、バスの運転手に乗車するアピールをしないと、そのまま通り過ぎてしまうことが多いとか。言われた通りにバス停で待つが、予定時刻を5分、10分と過ぎてもバスは来ない。さっそく見逃したのだろうか? ふと道路の向こうの観光案内所を見ると、係のおばさんがじっとこちらを見つめており、大丈夫だから、と無言で頷いている。
 やがて遠くからバスがするする近づいてきて、私はここぞとばかりに道路に飛び出し、全力で手を振った。バスは私の前で問題なく停車。車に乗りこむと、窓の向こうで観光案内所のおばさんが私に向かって手を振っていた。もちろん私もぶんぶんと手を振り返した。

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