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私たちのコロナ禍は3月9日から始まった

3月1日、私と妻は小松空港に降り立った。感染者数が3000人と世界で2番目に多い国(当時)となった韓国からの入国だ。厳密な防疫検査が行われるかと思いきや、いつも通り熱感知カメラの前をさっと移動するのみ。違うことといえば滞在日程を書いた紙きれ1枚を提出するだけで、しかも係員は目も通さない。思わず拍子抜けするばかりだった。

当時、感染への緊張感が最高潮に達し、フェイスマスクや手袋までして電車に乗る人もいた韓国に比べたら、日本の雰囲気は良くも悪くも穏やかだった。飲食店の店員がマスクをせず、会話しながら調理していることにぎょっとしたし(マスク不足も原因だが)、また自分が感染源になる可能性もあると怯える一方で、やはり住み慣れた日本、日常的な光景に根拠もなくホッとする私がいた。

しかし状況は、ウイルスとは別方向から悪化する。韓国に戻る航空便が、日に日に消滅していったのだ。私とは別行動で韓国に戻る予定だった妻は、2月末の段階で復路を自動変更されてしまい(小松発がしれっと名古屋発になった)、予定より早い日程の小松-仁川便へと変更せざるを得なかったのだが、出発予定前々日の3月4日にはその便もなくなった。妻は最終的に3月7日発の羽田-金浦便をキープ。私も早めに韓国に戻ったほうが良いと感じ、予約済みの羽田‐金浦便を6日発に変更した。航空会社に電話すると自動音声は言った。

「ただいま大変込み合っており、繫がるまでのお時間は約、ごじゅうに、分です。」

明日の出国を控えた3月5日の夜、スマホに届いたニュースに背筋が凍った。日本政府が韓国・中国からの渡航を制限するというのだ(ビザの無効化・到着後2週間の隔離要請等)。まさに前代未聞の事態である。始まるのは週明けの9日とのことだが、もっととんでもないことが起きる前に韓国にたどり着きたい。

3月6日は早朝に羽田空港へと向かった。羽田発韓国便がなくなるという話もあって、いきなり成田に行けと言われても対応できるようシミュレーションしておく。3時間前にはガラガラの空港に到着し、無事チェックイン。私の前の女性はカウンターで、ビザは大丈夫かと聞かれ「日帰りです」と答えていた。

搭乗口で出発を待っている間に、韓国政府も日本人に対し同様のビザ無効化を行うというニュースが届いた。やはり……という思いしかなかった。3月9日以前に入国すれば、私のビジネスビザは問題ないのだろうか? 同じ飛行機に乗り込んだ人は、わずか25人。普段ならビールでも飲みたいところだが、体温が上がって検査で止められたらたまったものではない。そもそも私は感染していないのだろうか? 私は入国できるのだろうか?

飛行機は金浦空港に到着。胸をバクバクさせながら入国審査へと進む。やがてたどり着いた防疫検査。そうとう厳重かと思いきや、いつも通り熱感知カメラの前をさっと移動するだけで、提出する書類すらない。えっ、これだけでいいの!? 入国審査も全くいつも通りで、一言のお知らせもなくスルー。

何より驚かされたのは、預け荷物を回収し、いよいよゲートを出る直前のこと。両替ブースのお姉さまたちが、両手でお札をひらひらさせながら、

「ワリビキー!」

と日本語を叫びつつ笑顔で客寄せしていたのだ。なんなのここ!? めっちゃいつも通りの韓国ではないか。

ついでに言えば、空港鉄道へと向かう動く歩道がなんか混んでるなと思ったら、その先頭でおっさんがどっかり座りこみ、動く歩道に運ばれながらひとり焼酎を飲んでいた。これぞ韓国……という風景だった。住み慣れた国の日常を実感したとたん、根拠もなくホッとする私がいた。

* * *

それからしばらく、どこに出国できるわけでもなく韓国で日々を過ごしている。あの時の心配は杞憂でしかなく、蓋を開けてみれば、長期ビザと滞在許可を持っている私は3月9日以降も当分は問題なく入国できたし、3月9日以降に韓国から日本に行ってまた戻って来たという人にも出会った(しばらくした後、2週間隔離とか再入国申請とか入国条件は複雑になっていくのだが)。留学生活を送っている日本人は意外と何人もいるし、さらには3月9日より前に観光ビザで韓国に入り、なんだかんだ理由をつけてビザを延長しているツワモノもいる。

私の韓国入国時のドタバタは、いま思うと鼻息荒く語るほどのものでもなかった。もっと悩ましい問題が続々と生まれ、世界はすっかり変わってしまったが、いずれにせよ幸い夫婦で元気に暮らしている。

日韓を行き来する私たちにとって、3月9日こそがコロナ禍の幕開けだった。あの時の両替お姉さまたちの笑顔が、コロナ前の世界のまぶしい情景として脳裏に焼き付いている。

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