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生きてる人はフグを食べる

2018年11月9日に発生した、鍾路(チョンノ)考試院(コシウォン)火災事件のことを記憶している人はいるだろうか。

考試院とは、ひどい場合にはベッドと机しかない2~3畳ほどの狭い賃貸物件のこと。事件のあった物件は家賃月4万W(約4000円)という安さから低所得者の住まいとなっていたが、防災対策が十分でなく、火災から逃げ遅れた7人が亡くなる事態となった。

被害者の中には日本語教師をしていたという50代日本人男性もいて(どんなビザだったのだろう?)、何か他人ごとではない気がした私は、事件の5日後には現場を訪れたのだった。

3階建ての建物はそのまま残っていたが、火災のあった3階部分は焼け跡が生々しく、割られた窓の上部には黒い煙が立ち上った跡がべったりと残り、火災の壮絶さを伝えた。事件は格差社会の象徴として取り上げられ、現場を守る警察の他、垂れ幕を掲げた労働団体やマスコミが集まり、周囲はざわついていた。

そんな中、同じ建物の1階にあったフグ屋は普通に営業していたのだった。

いや、ちょっと、その状態で飲食店、営業できるの? さらに驚くべきことに、店内はそれなりに繁盛しているではないか。いや、ちょっと、みんなその状態でフグ食べるの?

7人の死と盛り上がるフグ屋のギャップにぎょっとしたが、店主には例え火事でも家賃が発生する事情があり、客には今フグを食べなければならない事情があったのだろう。彼らのたくましさに、思わずため息が出た。

* * *

1年と半年後の2020年6月、久しぶりに現場に向かうと、例の建物は解体されることなく、そのままの姿で残っていた。煤けていた窓の上の部分だけをちょっとペンキで塗り、焼けた看板を撤去しただけで、年季の入った外壁は以前のままだ。

では売られて更地になり新しいビルが建つのを待つだけの物件かと思いきや、窓には「賃貸」の張り紙が。そこ、貸しちゃいますか……。ちなみにフグ屋もまだあった。

生きることは悲しく、騒ぎみたいなものなのだと誰かが言っていた。出会ったことのない日本人の方の冥福を祈ります。

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