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2024/03/10 青空だけがみたいのは我儘ですか
・降られた。徒歩通勤の洗礼を受けた。今年に入ってから、雨の日は何度もあった(ここ"友達の唄"っぽい)けど通勤と被る時間帯での傘が必要なレベルの雨は初めてだ。
・久しぶりに雨の中歩いていて、R.I.P.の"長靴は嫌い傘は大好き"を思い出した。日々歩くことによって大人になる過程で捨てたものを拾えてる気がする。必要ないから捨てたわけなので拾うことに意味はないかもしれない。
・先月誕生日を迎えたこともあってBUMP OF CHICKENの「HAPPY」をめちゃくちゃ聴いている。大人になってからの誕生日との向き合い方は少なくとも虚無ではなくなった。
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・自分はたまに"子どもの頃にはあったはず"みたいなものを失った気になって落ち込んだりするし、そういう部分で共感を得ようとしている人もSNSで見かけるから、実際皆感じているのだろう。
・でも本当にみんな子どもの頃ってそんなにイノセンスを抱えてたのか?って気もする。そりゃあ当然責任感の無さみたいな部分で言えば今より自由ではあったかもしれないけど。それは解体されるべくして解体されるものだし。
・ここでいうイノセンスはそうじゃなくて、どちらかというと疲れた大人がこぞって考える「僕たち私たちが失ったあの頃のモノ」みたいなキラキラしたもの。子ども特有の"縛られ無さ"とか"怯えなさ"とか色々。少なくとも自分はそれを"持ってた"とは思えない。
・思い返してみても子どもには子ども特有の"縛られ方"、というか大人になってみるとなんであの頃はあんなことで悩んでたんだろう、気にしてたんだろう。となるものにたくさん縛られていた気がする。子どもも子どもなりに自分の所属する社会での立ち回り方みたいなものを一丁前に意識してたりするもんだと思う。大人からしてみたらなんてことないちっぽけな"社会"でも子どもからするとそれが全てになったりすると思うから。
・やっぱり子どもといえど責任と自由は切り離せないものだったんだと思う。実際子どもには膨大な自由が与えられてるけど、それを扱えるだけの力量を得るには子どもには"責任を伴う"という経験が無さすぎる。
・だから子どもの頃にこういう自分に与えられた"自由"をそういう意味でめいっぱい謳歌できてた奴って少ないと思うし、かなり大人だったんだなとも思う。
・相変わらず潮が舞い子が舞いを読見返している。真凛バーグマンを見ているとわなわなしてくる。こいつヒッチコックすぎる。本当にただ生きようとしたら浮世離れするのかもしれない。
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