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2024/05/19 磨かれぬたくさんの原石

・トラペジウムの、段ッ。

・アイドルの話。"アイドル"というものの異常性、それを目指すということのヤバさの話。


・プロ野球選手、医者、警察官、何であろうと夢を追うということは苦しくて、だからこそ本気でそれを目指す人というのは魅力的に映るモノだ。でもおそらく多くの人はそんなモノ見つけないまま、見つける前に大人になっていくわけだ。アイドルに限らずだけど"これしかない"という夢に出会うということはすごく魅力的であると同時にある種怖いことでもあるなと思った。そしてこの映画の主人公はそれに出会ってしまった。アイドルに出会うことで自分も「光りたい」と願ってしまった。


・主人公も、喫茶店のシーンで「これは夢じゃない、絶対に実現するものだから」みたいなことを宣言している。ここまで言えてしまうくらいの自分の人生の軸となるような絶対に叶えたい夢がもし叶わない実現しないとなった、気付いたときに人はそれを受け入れるしかない。そうなった時その人はどう生きていくんだろう。どうもなにも受け入れるしかないまま大人になるしかないんだけど。


・主人公は念願のデビューを果たしたグループが瓦解していくよりもずっと前に(オーディションを受けまくって落ちまくっていた段階で)そこに辿り着きつつあったのかもしれない。自分1人じゃアイドルになれないということを受け入れた上で東西南北からアイドルの原石を集める、グループ単位でのセルフプロデューに舵を切った。アイドルになりたいという夢を仲間に共有しないまま推し進めた歪な計画は結果的には周りも自分も傷つけて瓦解することになったけど、この姿勢自体は絶対に実現させる夢を追うものとしてのあるべき姿だったと思う。なりたい、目指したいものを"趣味"の位置に置き換えるのは大人の考え方だしそれで"折り合いがつくぐらいの夢"になってしまう。

・そしてアイドルというもの自体が夢として見たときに残酷すぎるものだなと思う。どんな夢であれそこにはどうしても天賦のものが必要になってくるがアイドルはどうしてもそれが見えすぎてしまう。もし野球の道に進んでいたら大谷レベルになれる才を持っていたサラリーマンも過去にはいたかもしれない。でもそんなことは考えたってキリがないしそこに歯痒さを感じる野球少年なんていない。


・でもアイドルは容姿や愛嬌や人間性そのものの魅力であったり、生きている間にたくさん見えるもの自体を魅せるものだ。だからアイドルなんて全く志ていない人、他の大きな夢を追う人、愛するパートナーがいる人であってもそれが原石として映ってしまう。そしてそれはダンスや歌のレッスンをどれだけ頑張っても得られるものではない(そこにストイックな姿勢が魅力になることもあるけど)し、なんならそれ以上にその人を"アイドル"たらしめる評価の基盤になったりする。だから主人公にはそれを光らせないままにしている人が歯痒く見えてしまうし、「自分ならこうする」という考えにシフトしてしまったんだろう。



・書いてても本編を見てる間もシャニマスのノーカラット(SHHisのイベントシナリオ)がめちゃくちゃフラッシュバックした。学マスに触れる前に見てよかった。アイドルになりたい奴をアイドルにする、原石を光らせるプロデューサーとしての責任を持って初星学園に入学します。

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