おもしろおかしい仕事

たぶん、今の仕事は好きだ。
だが、一つ前の仕事は明確に好きにはなれなかった。
その大きな要因が「おもしろおかしい」かどうかだと思う。おもしろおかしいとは、計測機器で有名なHORIBAの創業者の本で見かけた言葉で、自分の哲学を仕事として表現していくこと、と認識している。

私は新卒で入社した会社に勤め始めておよそ15年目の、いわゆる中堅社員だ。
化学工学出身ということもあって、最初の5年間は一つの部署でプラントエンジニアとして働き(と言いたいところだが、実質、ほとんどは学ぶことを享受していた)、次は子会社に出向して異なるプラントに対して似たようなことをしていた。
プラントエンジニアとしての仕事は、わかりやすく社会に求められる。自分の設計思想を実際に形にして動かすことは、それなりに大変であり、同時におもしろおかしい仕事だった。
転機が訪れたのは、子会社にいたときだった。プラントから異業種への異動辞令が出たのである。
コロナ以後はウェルビーイングだなんだで社員の意思を無視した人事異動は激減した印象だが、当時の私の選択肢は、言われたとおりに異動するか、辞めるかだった。
まぁ行ってみっか。嫌だったらやーめよ。と異動してみたところ、色んなゴタゴタに巻き込まれてしんどくなり、たった1年半で「頼むから違うところに行かせてくれ」と頼み込むことになった。
叶ってしまった。
しかし、次の部署の仕事がどうしても好きになれなかった。ヒューマンエラーを嫌いながらも、自動化することをしない単純作業が業務のほとんどだった。数少ない頭を使う業務を、取り扱う製品や客先の知識が浅い私に任せられようはずもない。
正確には異動初年度には「あなたも〇〇をしてきたから」と管理業務をさせてもらった。仕事を回してる感もあってそれなりに楽しんでいたのだが、翌年に管理職になったばかりの体育系モノカルチャー男性に上司が変わり、そこからはビックリするくらい定型業務ばかりになってしまった。
異動2年目は、驚異のツマラナさだった。せっかくの機会だからと通勤時間に技術書を読んでみたりもしたのだが、何をどうにもおもしろくなくて頭に入らなかったので、次第に趣味の読書時間になってしまった。
仕事の意味を問えば、思考停止してろとばかりに注意を受ける。仕方がないので新しく担当する業務を片っ端からマニュアル化して「雑務を頼む相手」とつけていただいた非正規社員の方に振り、わからないところがあれば一緒にマニュアルをアップデートしていこうぜと巻き込んで、ゆくゆくは部分的にでも自動化してやろうと企みつつ時間を作る。
そして余った時間で、当時できたばかりの社内新規事業制度を使い、勝手に仕事を創り出しては遊んでいた。上司が無知な私に仕事を振れないのをいいことに、である。
思い返すと、なんて嫌な部下だったのだろうか。
オカタイ客先に合わせ、仕事のやり方を変えることを躊躇わざるを得ない環境の中、平気で「この仕事、こうしたらいらなくないですか?」などと言ってくる無知さ。自分は管理職の雑務に追われて残業する中、好き勝手にやってる部下は毎日定時で帰ってしまう(部下の感性は、残業命令が出てないのに残業なんてしねぇと言っている)やる気の感じられなさ。しかも本業に遅れを出すこともないので、注意もできない。このご時世だから何か言えば即座にハラスメントだ。せいぜいが昇進させないことしかできない(慎ましい暮らしをする独身の部下、給料には困ってないため、昇進できないことは次の仕事を探すほど辛いことではない)。
そんな部下はまさに、ストレスと恐怖の塊だっただろう。と、振り返った今なら思える。
機会があって上司の上司と面談した際、私は「今の部署は機械系の知識が重要だ。私はせっかく化学出身なのだから、同じ領域の中でも化学の知識が求められる〇〇とかに行けたら嬉しい」と伝えてみた。
叶ってしまった。それが今の部署である。
新しいことを求められる現在の部署では、自分の考えがないとスタート地点にたてない。もちろん、頼まれ仕事もある。定型業務もある。だがそれ以上に、自分がどう考えたのかというロジック、何をどうしていきたいかというビジョンを求められると感じている。
上司のやりたいことに、自分のやりたいことを重ね合わせていくというのも必要だが、「こう思う」と言われたときに「ここについては同意する。さらにこうしていきたい」と返して、怒られたことがない。もちろん、摺り合わせは必要だし、怒られる・怒られないで発言を変えることもないのだが、前の部署ではひたすら邪魔でしかなかった「私の考え」が求められるのだ。
おもしろおかしい仕事ができる部署に来てしまった。
化学の素養があるとはいえ、異色ルートで異動した私の知識は明らかに不足している。同じアイテムを扱うが、使うシステムは異なる(見る対象が異なるので当然だが)。したがって、業務の手続きもサッパリわからない。技術も業務プロセスもわからないことだらけで、ひたすらインプットした。前の部署で必要とされた知識よりもすんなりと頭に入ってくるので、まだ合っているらしい。
そして出会ったのが、現在メインで担当する設備である。わけもわからず設備を作ったメーカーの社長と話した際に「〇〇わかります? それがわかんないと、話にならないよ」と言われて「そうなんだ!」と思い、社内の知人に連絡を取って入門書を教えてもらったこともある。そのツテで勉強会に参加させてもらったりもした。自分の素養がこんなことにも活かせるのかという可能性を垣間見ることができて、めちゃめちゃ楽しかった。
その知人は、私が前の部署で新規事業制度を使った際に出会った人だった。
その部署にいなければ私は新規事業制度を使わなかっただろうし、さらにその前の部署で苦しまなければ異動させてもらわなかっただろうし、その前に異業種へ行くなんて……とプラントに生きることを優先したら、今はない。
そんなifの群れを集めたところで何があるわけでもないのだが、細かな選択の積み重ねで今があると、しみじみ思う。
当時は苦しかったことも「あの時があったから今がある」「あれは試練だったのかもしれない」と再定義できる私は、本当に幸せである。
もしかしたら、今後もツマラナイ仕事をすることがあるかもしれない。けれど、紆余曲折を経て今があると思うと、未来に存在するかもしれないツマラナイ仕事も、さらにおもしろおかしい仕事の糧とできるんじゃないか? と、比較的余裕のある今なら思えるので記しておく。

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