人生最後の食事は餃子がいい

この企画のためにそんなことを……と思われるかもしれないが、本気である。
人生最後の食事は何がいいと聞かれたら、母または祖母の作った餃子がいい。と、幾度となく答えてきた。
我が家では、満州帰りの祖父が、祖母に餃子を頼むことが多かったと聞いている。当初は見よう見まねで作っていた祖母も、作る様子を横で見ていた母も、私が物心つく頃にはあっという間に餃子を包む達人だった。
母に言われたことがある。
「あんたは楽だわ。餃子を食べさせとけば喜ぶんだもの」
その通りだ。ただし、餃子は餃子でも、水餃子の方が好きだ。
焼き餃子のカリカリ感は大好きだが、薄皮で作った水餃子のトゥルトゥル感は何物にも代え難い。厚皮で作った水餃子のモッチリ感も噛みしめがいがあって素晴らしいが、あの熱々をふぅふぅと冷まして口のなかに入れた瞬間に感じる「トゥルッ」が、ほんとにもう、たまらんのである。
ちなみに、祖父も水餃子派だったらしい。寡黙な人だったので、私ほど「トゥルッとするのがたまらん!」と言葉にして伝えることはなかったそうだが、食感が好きだと言っていた、と母から聞いたことがある。
ちなみに、味つけの選択肢は多岐にわたる。醤油もいい。ラー油をいれてもいい。酢とコショウの時もある。ゆずぽんのときもあるし、ニラやニンニクといった臭いの強いものを抜いたエビ水餃子の時はチリソースをかけることもある。
そして、餃子をごはんのおかずにするでもなく、ひたすら餃子を食べる。おそらく、ひとりで26センチのフライパンにぎっしり敷き詰めた焼き餃子と、水餃子20個くらいは食べている。こんなに食べないよーと思いつつも、気づいたら平らげている餃子マジック。
そんなことを書いていたら、餃子が食べたくなってきた。次の休みには、実家で餃子をねだろうか。

#餃子がすき


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