とある地方都市の外れにて #04 爺さんの与太話

寝惚けて流血沙汰を起こすような爺さん。私の記憶の中ではいつも酒に酔っていた。
とにかく白波(芋焼酎)の匂いがぷんぷんする。
そんな酒臭い爺さん、いつも本当か嘘か分からない話をしていた。

郵便局かどこかで仲間とストーブにあたってたら、そのうちの1人が放屁し引火したとか。
うどん屋であまりの量の少なさに『鼻から入るいひこあらいよ(鼻から入れるくらいの量だな)。』と言い放った客に店主がブチ切れ、『じゃあ鼻から食ってみろ!』と言われ、言われた方も鼻からうどんを啜ったとか。

すべらない話にもならないくらいの与太話である。
だが、そんな爺さんの与太話の中でちょっと悲しい話がある。

爺さんは当時珍しく180cmある大男で、持病なんかも無い健康体そのものの大丈夫であった。

太平洋戦争の折、爺さんにも漏れなく赤紙が届いたらしい。
明治の生まれだから大体30歳半ばくらいだった計算になる。
身内や近所の期待を裏切り、爺さんは召集を免れた。
理由は右の人差し指にあった。

爺さん、右の人差し指の第二関節辺りから上が無かったのだ。
この指を切り落とした原因なのだが、空気入れで自転車に空気を入れていたら、勢い余ってどこぞの金具か何かに引っ掛けてしまい、気が付いたら指がすっ飛んでいたらしい。
気が動転しながらも、爺さんは切れた指を持って、遠く離れた医師の元まで走ったそうだ。
だが、そんな痛みを堪えた全力疾走にも関わらず指は元に戻ることなく、爺さんの右の人差し指の先は失われた。

では何故指が無くって不合格となってしまったのか。
鉄砲の引き金が引けないから、というのが理由だったそうだ。

召集の話も指を落とした話も1度しか聞いたことがない。
前述の与太話は聞き飽きるほど繰り返した爺さんが、である。

持病もないのに召集を逃れ、親戚からは特攻隊も出た中、どんな思いで戦時中を過ごしたのか。
平和になった時代でも、いや、平和な時代になったからこそ忘れたい出来事だったのかもしれない。
しかし爺さんのこの話のせいで、自転車の空気入れを使う時、無駄に神経を擦り減らしてしまう。
そこだけがほんの少し許せない。

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