episode0 #1 暗闇の先【#1無料】
AM6:15。
スマホのアラームを止める。次に鳴るのは15分後。
体を起こしタバコに火を着ける。煙の向こう側に光るスマホの時計を見ながら、どうにかして仕事を休む口実を探す。
殆どの場合何も口実なんて思い付かないまま15分は過ぎ、苛立ちながら再びアラームを止める。
それが俺のモーニングルーティーン。
工場までは自転車で15分。
住宅街を抜けて大通りへ。長い直線道路。昼勤時の朝方、まだ暗く微かに朝日が昇る空間。夜勤時の夕方、徐々に暗くなるオレンジ色の空間。
そこを自転車で進んでいる時間が、何故だか堪らなく好きだ。
この直線の向こう側へ。
何か良いことがあるかもしれない。
まだ見ぬ世界。光。希望。
そんな妄想の時間はきっちり15分。
工場の門番に軽く会釈をし、砂利の敷かれた駐輪場へ。
ジャリ。ジャリ。
現実に戻される音は、晴れた日も雨の日も、渇いている。
軽い音。
高校二年の夏。
クラスのイジメの中心人物を屋上に呼び出し、屋上から捨てた。
良い行いをしたはずの俺は何故か退学処分になり、いじめっこが地面に激突したザンッという音も、自身の人生も、嗚呼、意外と軽いんだなと。
「本日もゼロ災で行こうヨシ!」
工場の流れ作業が始まる。
無限に続く生産活動。こんなに大量の、何の部品かもよくわからないものを、毎日12時間。
何も考えず、何も喋らず、ただ作り続けている。
休憩中のタバコだけが救い。
金がある時は缶コーヒーを飲み、給料日前は水で過ごす。
社食は別に安くもなく旨くもないが、一番安いカレーを毎日食べる。
身体中に走る痛みと怠さの限界点を越える頃、一日の作業が終わる。
死んだような顔で駐輪場に向かいながら、日給を計算するが、それが命を削った対価として妥当なのか。
それがわかるほど勉強してこなかった自分が憎い。
「……あ?なんだこれ」
自転車がパンクしている。
「クソが」
約10年。
工場を転々として生きてきた。
偉そうな態度の社員を殴り、生意気な派遣を殴り、毎回「あいつが悪い。だから殴った」と言い続けたそのツケが、疲労困憊の自身の目の前に現れたパンクした自転車のように感じた。
俺は自転車を蹴り飛ばし、歩いて帰ることにした。
一直線の大通り。
「何だ……意外といいな」
この直線の向こう側。歩きのほうが気持ちいい。辺りは暗く肌寒いが、それがいい。
このまま、この暗闇に溶けてしまいたい。
歩きながら深呼吸すると、仕事の疲れが消えていく気がした。
「………ん?」
30m程先に人影が見える。
歩道に横たわる男性と、それを見下ろす赤い服の少女。
「いや、大人か?」男を見下ろす小さな女が、こちらに気付き俺に向かって歩いてくる。
近付くにつれ、女の赤い服は返り血だとわかった。
「おいおい何だよ何だよ!」
俺が異変に気付き立ち止まると、女は早足になり、徐々に走り出す。
まるで悪魔のような形相の女が遂に目の前、間髪入れず殴りかかってきた。
「おいッ!?」
辛うじて避けたが、女は振り返りまた殴りかかってくる。
「上等だよクソが!」
俺は女が腕を振り上げるより速く、女の顔面に拳をめり込ませた。
そして、俺の拳は砕けた。
そのあとの事はよく覚えていない。
何度も何度も殴られ、地面に倒れこんだ俺の顔面を容赦なく踏みつける女。
遠ざかる意識の中、女の顔を見た。
悪魔のような形相、ではない。
悪魔だ。
何が起こったのかはよくわからない。
ただ、冷たいアスファルトに身を委ね、街灯に照らされて光る血溜まりは、キラキラと輝いて、夜空は深く暗く冷たく。
何だか突然に命は終わるんだなと、自身の軽い命の重さを考えると、原形を留めていない俺の顔面からは笑みが溢れ、この暗闇の先にやっと行ける、そう思った。
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episode0 #2刑事の勘 へ続く
筆者∴宗揖 魔術師・真経霊籤占術師