今回の判断はミスだった。

常日頃、色々と冒険しているように見えるかもしれませんが、それは「生き抜きながら遣るべきことをする」と言う意思の元、考えながら動いています。「病人はおとなしく、治療を受けながら病院に居ればよい」と言う1択ではないと思います。確かに周りから見れば、「危なっかしい」と思うかもしれませんが、治す意味もあり業界を上がり引退と言う形の道を歩みましたが、それは同時にこれまでできんかった「遣るべき事をする」という意識の元でもありました。

誰もが皆、「自分さえよければ、それでよい…」確かにそう思うのは当たり前です。現に自分も、自分の成績の為に管理職をしていたと言われても間違ってはいないでしょう。ただ、本当に自分の為だけの事を考えていたとしたら、当の昔に独立してましたよ。これは簡単な答えです。一人で店を回せるから…「自分がいなくなったら、どうなるのだろうか?」

「無くなるわけない」と言う方も居られるでしょう…当然なくならないでしょう。でもなくなる可能性は「0」ではない。同じ形式で、更にその店より高感度の高い、襟を正した店が出来たら…確実に滅びるのは見えています。

その時に困るのは誰なのか?顧客であり、キャストですね。もしも警察問題、国税問題が公になれば、業界って大きな打撃を受けます。その時に誰が泣くのか…経営陣が泣くのは当然ですが、それは嘆くだけです。本当につらい思いをするのは、実際に言いますと周りの方々です。

じゃあ、「健全な経営って何なんだ?」それは、「果たすべき義務」だけをきっちりすればよい。風営法に然り、経理に然り、業務に然り…全てきちんとしたノウハウの元すればよいだけです。そんなこと、一般社会の道をこれから頑張ろうと言う気持ちのある者なら、誰にでもあるかと思います。

しかし、業界ってそういう世界じゃないです。

「誰かがしてくれるから、自分は関係ない!」そういう人が多いです。

成長しようともせず、ただ毎日息をしているだけ…考えや工夫もしない。

息をしているだけの店は、誰かがその空気の流れを止めたら…そこで止まってしまうもんです。自分の動かしてきた店には、それなりの経済効果もありますが、自分には見えているし、解っている弱点もある。完璧に生き残るには、自分と同じ考えの者が居なくては、生き延びるのは難しい。歴代店舗を見ていて分かったことです。「完璧な物を作れない」と思われたり言われたりしましたが、店舗が忙しくなると、みんな錯覚するんです。忙しくなっている魔法にかかってしまうんでしょうね。お客様に魔法をかけたはずが、店の内部に魔法がかかってしまってくるんです。その魔法もいずれ解けるんですが…解けてからどうしようか動いても遅いんです。

そう「自分の分身が居たら…」それをソフトに組み替えて「AI」に組み込んでしまえば…そう、「AI店長」っていう構成が出来てしまう事に気づきました。かといって自分がAI店長と言うのではなく、きちんとした経営でも十分成り立つと言うシステムです。多くの方は、このシステムを「経営の仕方」と勘違いされていますが、プログラムに組み込んでしまうのがシステムです。女の子独自のHPを作り、女の子達が全て管理できるHP。その集合体が、店舗と言う感覚です。経理も女の子自身がすべて把握し、予約も管理、顧客もお気に入り登録者、アクセスまで見れるわけです。Web担当者も要らない。全て自分自身で管理することにより、自分自身の能力も上がります。

将来性の扉を開いたシステムの可能性を感じました。

現在、5名のプログラマーでそのシステム開発を進めています。自分が抜けては詰めが甘くなる…だから事務所に居たい…と言うのが根本的に遣りたい事です。

大腸がんの気配があったのは2018年10月…何気に業務をして居た時、いつも通りフロントに座って業務をして居た時、胃と下腹部の間が「違和感」というか、圧迫感がありました。ただ、それが自分の身体に何が起きているのかも気になりませんでした。その時、業務が多忙で抜けることもできない状態でした。抜けても良かったのかもしれませんが、抜けたら流れが変わると言うのもありました。誰もが誰もの代わりをできるではなく、各自バラバラで自分良ければすべて良しと言う体質だったからです。

で、日常生活も通常のまま気にせずにしてました。たまの誘いのゴルフに行っていましたから、本当に問題はなかった感覚でした。ただ、急激におかしくなったのは、肉を食べると便秘になりだしたときです。通常、快便派でした。便秘に悩むことさえありませんでした。ただ、フロントに座っていると、一日8時間も座るりっぱなし…それが半年続いた時、違和感が危機感に変わりました。3日に一度マイクロ波を受けに行きながらの治療…それで、違和感もなくなってきたのを何もなかったと勘違いし、また無理な労働をしていました。

最初に違和感を感じて約10か月したある日の朝、下半身に力が入らなくなりぎっくり腰みたいな症状に襲われて嫁が車いすを購入しようかと思うほど無痛で原因のわからない麻痺が起きました。病院に行ってMRIを受信しましたが、結論は「ぎっくり腰」と診断されました。

しかし、大腸がんで血流が悪くなり左半身への動脈硬化…しかも閉塞性が後に分かりました。ただのぎっくり腰ではなかったのです。右大腸の一部が大きくはれ上がり、内視鏡検査でポリープが10個ほど発見されました。しかし、その発見された更に奥には、無数のポリープがあったことにもその当時辿り着いていませんでした。

丁度その時、それまで6年いた店を去りました。この病、長期戦を感じ取っていたのです。ただ、遺恨を残す辞め方になりました。

ただ、辞めた理由の大きな一つに…「自分がいても誰も変わらず成長しない…」

「どんどん悪い方に進んで行っている、嫌な予感がしている…」そう感じたのは、その年の7月でしたから、実に決心をするまで4か月間は誰にも相談せずに悩みました。

身体の事など、自分自身でしかわかりません。周りは人の健康状態など、まったく気にしない仲間と言えるのかどうかな人間関係の中に居ました。確かに、目の前で自己申告すればそれまででしょうが、中々病気のことは言えませんでした。その3年前、腎臓がんでステージ4の時でも告知していたにもかかわらず、周りの仕事量は変わりませんでした。気を遣ってはくれるが、その仕事の制度は適当で、とても自分の抜けた穴を埋めようとする姿勢も見えなかった…週に二日、北陸から宝塚まで弾丸ツアーのマイクロ波治療を受けに飛び回っていました。それ以外の日は連続勤務。何も仕事を考えずに休むと言う日はなかったに等しい状態でした。

当時マイクロ波治療のウケられる医療機関は、全国に4か所しかなかったのです。北海道、東京、横浜、宝塚の4診療所。しかも予約は2年待ち…それでも「藁にもすがる思い」で待っていると、チャンスが偶然にも巡ってきました。「この先どうなるか分からない」…先端医療や高度医療とか様々ありましたが、「代替医療」を選択。マイクロ波は、日本ではマイナーであっても、ヨーロッパ諸国では30年も昔から主流でした。放射線治療を駆使する日本と大きく違い、特に甲状腺がん、大腸癌、肺がんには数々の治癒の例や、回復のデーターもあり、むしろ放射線治療という物や抗がん剤に頼ると言う治療は、好まれない治療とみられていました。

ただ、当時の腎臓癌に成果があった事例は国内では少なかったのも事実でしたので、全ての面で喜べると言うのは全くありませんでした。それに加え、食事制限もし「ゲルソン療法」と言う、オーガニックのみの食生活にも切り替えました。

専門用語的な言葉がいろいろ出てきましたので取り上げておきます。検索してネットでいろいろと調べてみてください

1・マイクロ波癌治療

2・ゲル孫療法

3・Oリングテスト

これらの3つのキーワードが、私の腎臓がんステージ4から助かったキーワードになります。医学的専門用語も多数調べていたら出てくるかと思いますが、もし調べて「分かりにくい」「理解できない」とかありましたら、DMでもお答えさせていただきますよ…

取り合えず、宝塚に通って7か月目ぐらいに効果が表れ8か月目くらいには、医師の方で完治と言う手ごたえがあったそうです。自分なりの感覚では、最後の10か月目に「完全完治」と言われるまで不安な点ももちろんありましたが、余命宣告された身の自分にとっては、何が起きたのか分からず、ただ妻の懇親的な苦悩を考えると、その時初めて自然に涙が出て「助かった」と言う実感しました。周りから本当に大丈夫なのかと聞かれながらも、「癌友の会」でスピーチをさせて頂いたり「実体験トーク」を講演させて頂いたりして、今闘っておられるがん患者の方々に少しでも「希望の光」を手に掴んでもらえたらと思ってここまで来ました。ただ、代替医療を選択するには、まだまだハードルも沢山あります。

それは、「保険の利かない高額医療」と言う点です。まだ日本では認められていない治療です。

今、自分がしている治療も保険が利きません。この問題が解決しだすと、多くの国立病院の放射線治療のシステムのバランスが大きく崩れるからだと私は思いました。

「癌にかかりました」

「では除去手術をしましょう。」

「それしか、延命や助かる道はないです。」

「同意書にサインをお願いします。」


これらの会話で、知らない立場の者、助かりたいと願う人は、免疫力低下の説明など大して受ける事無く「1択」の選択肢しかない状態に陥ります。

今回も緊急搬送された医療センターでの診断は「大腸がんの主要部分全摘出」の判断が下されました。

自分には最悪の場合「マイクロ波」があると言う事を頭の中にあったので、外科医にそのまま「拒否」を告げました。

どうせなら、自分の信じる医療で治療したいと言う気持ちからでした…


次回…「大腸がんにかかった時から…何もかもが忙しくなった。」に続きます…




悩んでおられる業界の関係者の方々…もしもですが、私でよろしければご相談とかお伺いさせていただきます。そこで何か「光」が見えるかもしれません。メッセージ等、お気軽にどうぞ。