「レトロ」とは何か

 全国の吹奏楽民を驚かせ、そして魅了した2023年度全日本吹奏楽コンクール課題曲「レトロ」。今回はそんな新たな名作について、好き勝手にいろいろ語りたいと思います。



課題曲×ポップス

 課題曲にドラムセットが登場するのは10年ぶりのことでした。前回は2013年の「復興への序曲『夢の明日に』」。日本の吹奏楽ポップスの祖である岩井直溥先生の作品です。岩井先生は2015年に亡くなったので、実質この曲は"遺作"のような位置づけになります。

 課題曲にポップスが登場するのはとても珍しいことのように思えるかもしれませんが、長い課題曲の歴史の中ではこれまでに何度かドラムセットが入るようなポップス曲が登場しています。
 2013年以前には、2010年の「吹奏楽のためのスケルツォ第2番《夏》」や1989年の「ポップスマーチ『すてきな日々』」などの作品があります。(2010年のスケルツォは鹿野草平氏、他はすべて岩井直溥氏の作品)

 10年ぶりに帰ってきた課題曲ポップス、今回の「レトロ」は吹奏楽界…というか日本の音楽界のリーダー的存在である天野正道氏による委嘱作品です。天野氏は今作の発表にあたって全日本吹奏楽連盟の会報で以下のように記しています。

 「 あまのちゃ~ん、『明日への夢』の時は吹奏楽連盟に押し切られたけど、君が課題曲を委嘱されたら絶対にE. Bassを復活させてね。」この岩井直溥先生の遺言とも言えるご意向に添えなかったのが残念でならない。岩井先生が啓蒙して下さったお陰で、以前は課題曲にも当たり前にE. Bassが入っていたのだが、この「作音楽器」であるE. Bassは、コンクールでは使えなくなったのだ。

会報「すいそうがく」2022年12月号(http://www.ajba.or.jp/00ajba/07_pdf/kaihou/suisougaku220.pdf)

 念願のエレキベース復活とはなりませんでしたが、天野氏が岩井先生のスピリッツを受け継いでつくったのが今作だということが分かります。なんともドラマチック。


天野正道×ポップス

 「天野正道にはポップスではなく純粋な吹奏楽オリジナル曲を書いてほしかった」なんて意見をTwitterで目にしたりもしましたが、おそらくそういう人たちに向けてこの曲は書かれたのでしょう。

 天野氏は「『GR』より シンフォニック・セレクション」「ラ・フォルム・ドゥ・シャク・アムール・ジョンジュ・コム・ル・カレイドスコープ」など数々の吹奏楽作品を生み出しているので、てっきり主戦場は吹奏楽界なのかと勘違いしている人がまあまあいるようです。
 しかし実際は、アニメや映画などの劇伴音楽や管弦楽作品まで幅広く手掛けるオールラウンダー。(というかそもそも「GR」がオーケストラ編成で書かれたアニメ音楽だし…)

 そんな天野氏が手掛ける領域の一つには、ジャズやポップスも当然含まれています。劇伴音楽としてポップス曲を手掛ける他にも、吹奏楽ポップスの大会である「Symphonic Jazz&Pops Contest」の大会代表を務め、過去に4作の課題曲を生み出しています。

 というわけで、天野正道にはもはや"担当領域"なるものは存在せず、あらゆる音楽ジャンルで現在も第一線で活躍しているということです。先述の吹奏楽連盟の会報に掲載されている紹介にも「映像音楽、Jazz、歌謡曲、純音楽、演歌から吹奏楽まで節操なく書く作曲家」と記されています。「節操なく」って…。

 これを踏まえた個人的の思いとしては、天野正道が吹奏楽専門の他の邦人作曲家と同じ次元で語られるのは凄く違和感があるし、ぜひそれはやめてほしいなと思います。「レトロ」をちゃんと聞けば、きっと分かってもらえるはず。


各方面の意図

 天野正道とポップスの関係について少し熱い思いを語ったところで、曲の話に戻ってきましょう。

 2023年1月にこの曲が発表されてから、コンクールシーズンが始まるまでの間に何回か生でこの曲を聴く機会がありました。(そのうちの一つは天野氏の解説付きの演奏会!)回を重ねるごとに自分の中で曲の解像度が上がっていくと、あえて天野正道氏が課題曲にこの"異色の作品"を投入してきた意味が気になるようになってきました。

 そうして考えた結果、自分が辿り着いた答えは大きく2つ。1つずつお話していきます。

①吹奏楽連盟側の意図

 まず1つ目は、吹奏楽におけるポップスの立ち位置をアップデートしていく、みたいな意味です。
 吹奏楽連盟の会報での天野氏のコメント、別の部分にはこう書いてあります。

 全日本吹奏楽連盟からの最初のオーダーは、な、なんとE. BassどころかSet Drumsが無くても演奏出来るPopsを書くように、との事だった。Jazz・Popsでは必需品の楽器を使うなという無理難題な注文、流石儂の反抗精神を良く把握していらっしゃる。

会報「すいそうがく」2022年12月号(http://www.ajba.or.jp/00ajba/07_pdf/kaihou/suisougaku220.pdf)

 そう、当たり前ですがレトロは"委嘱"されたものであり、10年ぶりのポップス課題曲をオーダーしたのは吹奏楽連盟なのです。ここには一体どんな意図があるのか。
 それは、吹奏楽界全体にクラシック作品や吹奏楽オリジナル作品などのジャンルと同じように、ポップスにも音楽的に真剣に向き合うことを求めている、ということではないでしょうか。

 この曲が発表される前、吹奏楽連盟から課題曲について大きな変更がアナウンスされました。それは、課題曲Ⅴの廃止です。現代音楽の普及を目的に設定されていた課題曲Ⅴでしたが、その目的は十分に果たされたとして2022年度での廃止が決まりました。
 そして再び課題曲4曲体制に戻った初年度にレトロはやってきました。石津谷理事長率いる吹奏楽連盟の改革の姿勢が反映されていることはどう見ても明らかです。

 かつてはプロの音楽家だけが取り組むようなものだった現代音楽も、課題曲Ⅴが登場したこの約10年間で多くのアマチュアプレーヤーがその存在に触れ、研究し、考えて、自分たちなりの解釈をしようと取り組みました。これと同じことをポップス音楽にも求めているのではないでしょうか。

 単なる憶測だけで喋っているような雰囲気ですが、天野氏も「課題曲Ⅴが廃止された翌年ということは意識した」と先述の演奏会で語っていました。その音楽ジャンルの専門性に着目して、しっかりと理解して曲を組み立てていくことを、ポップスにも求めているということです。

 日本のポピュラー音楽界隈でも「Official髭男dism」や「King Gnu」などの難解なコード進行や複雑なリズムをもつ曲がヒットチャート入りし、街のいたるところで流れるようになりました。私たちに身近な音楽も複雑さを増してきている今日この頃、なんとなくポップスを演奏するのではなく今一度ちゃんと音楽として捉え直すような、そんな新しい向き合い方を吹奏楽連盟が提案し、推し進めていこうとしているんではないでしょうか。きっとそうすれば、日常の音楽がもっと鮮やかに立体的になって、より面白くなるはず…みたいな願いがあるのかどうかは分かりませんが。


②天野氏の意図

 ただ、この曲から感じる意図は吹奏楽連盟からのものだけではありません。曲の中身からもビシバシ何かが伝わってきます。天野氏が設定した…かもしれない意図、それは吹奏楽ポップス界の「脱・ラテン」です。

 レトロを構成する部分は3つ、「Blight Rock」「Sentimental Ballad」「Crossover」。これらはどれもアフリカ系の人々がヨーロッパやアメリカにもたらしたり、それが融合したりしたもの。中南米由来のいわゆる「ラテン音楽」の要素はほとんどありません。

 そして、これらの音楽ジャンルを持つレトロの、まさに対極に位置するような吹奏楽ポップスの曲があります。それこそ、真島俊夫編曲の「宝島」。

 1986年の発表以来、本当に多くの人々に演奏され愛されてきたこの曲、原曲はこのnoteでも何度か登場しているT-SQUARE(当時はTHE SQUARE)というフュージョン・バンドの楽曲です。
 実はこのフュージョンというジャンル、数十年前までは「クロスオーバー」という呼称の方が優勢でした。そう、レトロの3つ目のパート「Crossover」と同じものです。

 しかし、吹奏楽版ではこの曲はあろうことかクロスオーバーの皮を捨て、新たにサンバという全く別のジャンルの音楽として発表されました。そう、もうジャンルが違うんです。だからいつまで経っても「吹奏楽の宝島は別物」と言われ続けるんです。あれは別に吹奏楽を蔑んでる訳ではなく、本当に別物なだけなんです。

 しかしこのサンバにアレンジされた吹奏楽版宝島は空前の大ヒット。そして、おそらくこの曲が吹奏楽とサンバやラテン音楽という音楽ジャンルとの親和性の高さを証明したのでしょう。それ以降、「コパカバーナ」「エル・クンバンチェロ」「テキーラ」「マンボNo.5」など多くのラテン音楽がアレンジされ、次々に吹奏楽ポップス界に定着していきました。
 真島俊夫氏も「ベイ・ブリーズ」「サンバ・エキスプレス」「ジェラート・コンカフェ」などのオリジナルのラテン系吹奏楽曲をいくつも生み出し、"吹奏楽ポップスといえばラテン"といった状況を生みだしました。

 しかし、日本の世の中のポップスといえばロック、ファンク、R&B、それらが元となった日本独自のJ-POPと呼ばれるジャンルが主流。正直ラテンが大流行しているのは吹奏楽界ぐらいじゃないでしょうか。

 そんなラテンに染まりあげた吹奏楽ポップスに、今回敢えて非ラテンの3曲を投入してきた「レトロ」。
 課題曲という形でポップスと真剣に向き合ってほしいからこそ、吹奏楽では非主流となってしまったロックやクロスオーバーといった音楽ジャンルにスポットを当てたのではないでしょうか。「吹奏楽界の皆さん、アゴーゴがなくてもポップスはできますよ。」そんな声が聞こえてくるのは私だけでしょうか。


「レトロ」とは何か

 そしてこの曲の一番大きな争点、それは「一体何が" レトロ"なのか」という点です。
 一応、「70年代から80年代に流行った音楽ジャンルをピックアップしているから"レトロ"なんだ」というような説明が一般的ですが、自分はかなりこれには懐疑的です。というのも、別にロックやクロスオーバーは過去の音楽ではありません。むしろ、80年代のクロスオーバーに近い音楽ジャンルは「シティ・ポップ」として、ここ5年ほどアジアを中心に世界中で一大ムーブメントを起こしています。全然レトロじゃありません。新しいです。

 じゃあ一体何が"レトロ"なのか。天野氏が「70年代から…」の説を言っていたような気もしますが、"公式が勝手に言ってるだけ論法"で無視して自分なりの答えを出します。

 レトロなのは、曲の内容ではありません。曲の存在です。

 坂本龍一やすぎやまこういちなど、日本を代表するような一流作曲家がポップス曲を書いていた70年代。ビートルズ解散後のバンドブームでロックやクロスオーバーが街中に溢れていた70年代〜80年代。そして、ニュー・サウンズ・イン・ブラスの登場で吹奏楽にポップスの新しい風が吹き込んできた80年代。課題曲にポップスが数年おきに登場し、中高生たちがひと夏をかけてそれを本気で練習していた80年代。

 そうした時代が、その時代の音楽が、"レトロ"。そしてそれらを全て集約したこの曲の存在こそが"レトロ"。
 こう考えると、たった3文字のタイトルの意味がもっと深まっていくように思えないでしょうか。余計なことをしたかも知れませんね。まあでも、それくらいは考える価値があると思います。なんせ、名曲なので。


火傷するぞよ

 信じられないくらいの長さになってしまいました。ごめんなさい。そろそろ終わりにします。
 自分がこの曲について考えてること、語りたかったことはだいたいこんな感じです。最後まで読んだ方、あなたはえらい。今度一緒にご飯奢ります。ぜひそのときに感想も聞かせてください。

 最後にもう一度だけ、吹奏楽連盟の会報から天野先生の言葉を。

 Jazz・Popsにも不文律やセオリーがあるが、審査員の皆様方も是非この不文律を把握して頂きたい。それらを無視した演奏はJazz・Popsを生業としているプレイヤーにとっては「ダサい」演奏となるのだから!そう、クラシック音楽の世界にもそれぞれの時代、作風に合ったセオリーがあるという事と全く同じなのだ。Popsだからと舐めて掛かると火傷するぞよ。

会報「すいそうがく」2022年12月号(http://www.ajba.or.jp/00ajba/07_pdf/kaihou/suisougaku220.pdf)

 ここにすべてが集約されていますね。

 天野先生、岩井先生、課題曲にポップスを書いてくれてありがとうございます。深く感謝しています。

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