持続可能な演奏会

 新しい演奏会が生まれたり構想が浮上したりしている今日の関西アマチュア吹奏楽界隈。それと同時に演奏会の乱立についていろいろと問題点も議論され始めています。個人的にそこら辺の話について思うことを少しまとめてみようと思います。


らっぱふぇ(Trumpet Festival)

 関西…というか六大(阪神国公立大学吹奏楽連盟)特有の文化である、単一楽器による演奏会。通称"フェス系演奏会"。

 一番の老舗であるトロンボーンフェスティバルは今回で23回目を数え、クラリネットやホルンなどのフェスも10年以上続く比較的歴史の古い演奏会です。一方で、Euphonium & Tuba Carnival(ETC)は今回で5回目、「ふるだぶりねっとコレクション」は2回目など、ここ数年で誕生した新しい演奏会もあります。

 今回その中に新たな仲間が加わりました。その名も「Trumpet Festival」、通称"らっぱふぇ"。あらかわいい名前。ご存知の通り、私も記念すべき第一回の運営メンバーに参加させていただいております。中身はもちろん、トランペットやその仲間の楽器(と打楽器)による演奏会。一部からは「念願の…!」とまで言われたトランペットのフェス系演奏会。先日の情報公開後、各所からすぐにたくさんの反応をいただきました。

 ここで一応注釈のようなものを。実はかつて六大界隈にはTrumpet Festivalが存在したとのお話が上がっています。そして現在は形を変えて、別の名前の音楽団体として活動しているとのこと。もちろん私たちはこれらを承知の上で演奏会を企画しています。これから先も続いていくような演奏会の"Vol.1"として、来年秋の開催を目指して準備を進めています。


演奏会乱立問題

 というわけで、らっぱふぇの創設によって六大界隈のフェス系演奏会の数は8つになりました(ss調べ)。各大学の演奏会や六大合演に加えてこれだけの数のフェスがあるということで、六大界隈では年間を通してひっきりなしに演奏会が開催されることになります。それどころか、六大の手を離れたOBOGによる演奏会企画もものすごい勢いで増えている昨今。毎月、毎週のようにどこかしらで何かが行われています。

 こうした状況になり、界隈では流石にいくつかの問題点が目立つようになってきました。今回はそれらを大きく2つの視点から取り上げて見てみます。


①各リソースの奪い合い

 当たり前のように毎月毎月演奏会が開催されていますが、奏者も練習場所も本番会場も日程も全て限りがあります。全ての演奏会を思い通りに開催させることはもはや不可能なレベルにまで突入しているとさえ思います。思いやりや犠牲が必要とされる世界…アマチュア吹奏楽の演奏会を開くのって本来そんなことに注力しなければならないものなんでしょうか、なんてことも少し思います。

 実は演奏会乱立によって発生した諸問題は、全てこのリソースの奪い合いが原因として根底にあります。そしてこれらを事前の打ち合わせ無しに走り出してしまうと、奏者募集や練習開始の段階になって事実上の演奏会同士の"潰し合い"が始まってしまいます。現在のところは表立った潰し合いはないように見えますが、すでに水面下では近い状況が起きているのではないでしょうか。というか、起きていてもおかしくないと思います。

 じゃあどうするべきなのか。これを防ぐ唯一の方法は、演奏会を企画する人間が動き出す前に一度立ち止まって考えてみる、ということに他ならないのではないでしょうか。そのときに何を考えるのかは人それぞれだと思いますが、果たして今から始めようとしている企画は潰し合いを引き起こさないか、そして、そのリスクを背負ってまでも開催するべきなのか。「演奏会を開催する!」という皆さんの一大決心に水を差すようで非常に申し訳ないんですが、そういうことは必ず考えないといけないと思います。

 実はこのことについては以前にnoteに書いたのですが……………この場で共有することは非常に躊躇っています。理由はいろいろあるのですが、主には"内容が内容なので"ということです。この記事の最後に一応リンクを載せておきますので、自己責任でお読みください。文句や批判は受け付けます。遠慮なくお寄せください。


②奏者の練習参加

 話を戻します。さっきのリソース奪い合い問題は運営側の話。今度は奏者側にフォーカスします。

 ものすごい数に膨れ上がった演奏会たち。それでもやる気のある人は、興味のある演奏会には出演します。興味の幅が広ければほとんどの演奏会に出るような奏者もいるかも知れません。でも、その人たちの練習はどう確保されるのでしょうか。自己責任といえばそれまでですが、でも、そういう人たちに支えられて界隈の演奏会が成立してる側面も決して無視することはできません。

 個人的なキャパシティの問題、所属団体との練習の兼ね合いが主なトピックです。特に大学生は元々所属している大学の吹奏楽部(団)の練習を欠席してまで外部演奏会の練習に出席するのは大いに勇気がいるでしょう。というか、果たしてそれがどれだけ許されるのかという問題があります。

 個人的には、前日練や集中練などの特別な場合を除いて、必ず大学の吹奏楽部の練習が優先されるべきだと考えています。自分が運営として携わったり出演したりした演奏会ではそういうふうにしてきたつもりです。ただし、同時期に複数の演奏会にエントリーしている人間はこれを遵守することも非常に難しいでしょう。事を上手く進めていくためには、運営側の管理と奏者側の自己管理の双方が事前に必要不可欠ですね。当たり前のことしか書いていませんが、この練習参加についてのトピックは最近議題に上がっていたので少し書いてみました。

そもそもなんのためにやるの?

 小見出しまで使って書いた「演奏会乱立問題」のセクションですが、まあ大方演奏会を企画するような人間はこれくらいのことは当然頭に入っているでしょう。それでも、やる。それでも雨後の筍のように演奏会が生えてくるわけです。

 なぜでしょう。なぜ人は演奏会を開いてしまうのでしょう。一体演奏会ってなんのためにやるんでしょう。

 理由はいろいろあるでしょうが、たぶん結構大きい所を占めてるのが「楽しいから」ということだと思います。自分のやりたい曲を、自分のやりたいコンセプトで、自分と仲の良い人たちと、自由に開催できるんですから。どう考えても楽しいに決まっています。かく言う私も演奏会を企画している身。(詳細はこちら)自分の構想が実現に向けて一歩ずつ進展するたび、ひしひしと楽しさみたいなものを感じています。

 でもその"楽しさ"は、果たして演奏会でしか得ることのできないもの…?これは企画する側、参加する側の双方に問いかけたいんですが、実は演奏会という形にしなくても別の形に落とし込めてしまう場合があるんじゃないでしょうか。

 あなたの企画・参加する演奏会の、運営、練習、本番を通じてでしか得られない"楽しさ"、これが動機になるのが理想の姿だと私は思います。裏を返せば、実はわざわざ演奏会を企画する必要はない、演奏会という形にする必要はない、奏者として新たに参加する必要はない、それをしなくても手に入る"楽しさ"が動機なのであれば、それは演奏会を開いたり参加したりする前に少し立ち止まること、これを私は皆さんにおすすめしたいです。さっきの「奪い合い問題」のセクションで書いた解説策へのヒントみたいですね。

 最近浮上した問題とそれをどう乗り越えるかというお話でした。まとめると、界隈全体として幸せになっていくためには、実は引き算とか遠慮とかも必要かもしれない、みたいなことを言っています。なんか、こう見てみると偉そうですね。反省はしてます。でも後悔はしてません。


持続可能な演奏会

 私にはある願いがあります。それは、「自分の関わった音楽集団は全て10年以上続いてほしい」という願いです。"楽しさ"を受け取るためにはじめた演奏会や音楽集団、その楽しさをたった一回や一年で終わらせてもいいと思う人はあまりいないでしょう。できれば長く続いてほしい、形を変えて、名前を変えてでもいいから、スピリッツを継承して残っていってほしいと思っていることでしょう。私も自分が関わった音楽集団については同じことを思うわけです。

 "10年"という数字を設定したのにも理由があります。おそらくアマチュア吹奏楽プレイヤーで10年後も今と同じように楽器続けている人は、全体の半分から3分の1程度でしょう。10年経つと主力となる人々の顔ぶれはどの音楽集団でも大きく変わります。それでも、その団体がつくられたときのスピリッツを継承して、10年経って世代交代しても活動し続けることができるような音楽集団が自分の中では理想だなと感じています。

 人が変わっても、音楽で中身を継承していく。社会の中に確固としたアドレスを持つことができる。そんなふうに書くと大げさですが、誰かの居場所みたいなものとして、時代が変わってもそこにあり続けられる音楽集団があってほしいし、自分のいる界隈はこれからもそんな感じで続いてほしいなと願っています。

 話が抽象的ですね。あまりに抽象的です。なぜこんなことになったのか。それは本当に言いたいことをずっと隠してお話しているからです。というわけで約束通り、以前に書いた「アマチュア演奏会論」みたいな記事のリンクを掲載します。

 繰り返しますが、閲覧は自己責任です。不快な気持ちになる方もいるかも知れません。こちら側はその覚悟はできています。でもこうしてリンクを貼るのは、自分を曲げたくないから。本音がどうしても見たい方はご自身の手でどうぞパンドラの箱を開けちゃってください。

 以上、本気で持続可能な演奏会、持続可能な音楽集団、持続可能な吹奏楽界隈を願う私の、とりとめもないエッセイみたいな何かでした。

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