定期演奏会でソロを吹かなかった話

卒論に追われてるのにnoteまで手を出す馬鹿はこちらです。


交響曲第5番「フェニックス」

 2023年12月10日、八尾市立文化会館プリズムホールで開催された「大阪教育大学吹奏楽部 第55回定期演奏会」。自分自身にとって吹奏楽部員として最後の本番でした。演奏会全体についての感想やらは別のnoteにまとめておりますので、興味のある方はそちらをご覧ください。

 今回メイン曲として大教吹部が取り組んだ曲は、ジェームズ・バーンズ作曲、交響曲第5番「フェニックス」。吹奏楽界の巨匠バーンズの数ある交響曲の中で最も壮大なこの曲。太平洋戦争で敗戦した日本が不死鳥のごとく復興を遂げ、再び輝く姿を吹奏楽で描いた作品で。演奏時間は40分、4楽章構成です。

 バーンズの交響曲といえば、日本では交響曲第3番が最も有名。娘の死の直後、バーンズが経験した暗い冬の時代とそこから立ち直り前を向き始めた時期の彼の感情が描かれている、なんともドラマチックな作品。メイン曲の発表があったとき、自分の頭の中で真っ先に思い浮かんだのが、この交響曲第3番でした。が、よく見てみると選ばれたのは第5番。あー、3番なら冒頭にTuba Soloあったのにー…とか思いながら初めて音源を聞いてみると、

 第一楽章にTuba Soloあるやんけ。

 流石はTuba奏者バーンズ。まさか交響曲にこんな高頻度でTuba Soloを登場させるなんて…(しかもどっちも冒頭)。まさかの展開に驚きながら、このときはなんとなく「このSolo、自分が吹くことになるのかな〜」と思っていました。


変化

 9月に入って4回生の自分も練習に参加し始めると、数ヶ月ぶりに中で演奏するバンドの変化をいろいろな場面で感じました。そしてそれは、パートに関しても一緒。自分が一度引退してから2回生1人と1回生2人を迎えたTubaパートは、一年前とは全く違う集団になっていました。

 もちろんみんな真面目で、優しくて、楽しいパートには変わりなかったのですが、昨年から一気に人数が増えたことで、そこに参加する自分に求められる音楽の役割が変化しているように感じました。去年はとにかく楽譜に書いてあることをしっかり表現して、バンドの音楽を突き動かしていくイメージで常に吹いていました。が、それはTubaが2人だったときの話。5,6人で一緒に演奏する今回は、調和とまとまりが新たに要求されているのが分かりました。

 自分自身、中高は100人近い大編成バンドでずっと吹いてきたので、このことは別に苦とするところでもなかったはずなんですが、大学に入ってからはTubaは少人数での戦いが続いていたため、この変化に慣れるのに少し時間を要しました。というか、最後まで完全に慣れることはできなかったかもしれません。頑張って調和とまとまりを演出しようとしても、それを意識すればするほど上手くいかなくなってくる。そんな感じで最後の最後まで少し苦しい戦いを強いられました。

 だから、メインの交響曲第5番に控えていたTuba Soloは、Tuba5人で演奏するときとは違って、今まで自分がやってきたことを思いっきり表現できる場所、言うなれば自分が前みたいに輝ける場所だったのです。合奏の中での焦りが募るにつれて、そういう思いがどんどん明確になっていきました。


ソリスト候補

 と、ここまで当たり前のように自分がTuba Soloを吹く雰囲気で話を進めてきましたが、この時点ではSoloを誰が吹くのか決まっていたわけではありません。というのも、交響曲第5番の合奏が始まったのは自分が部に復帰する前の8月。当時は3回生の後輩がメインでSoloを吹いていて、彼女がいないときなどは合奏にいる他の人が担当して吹いていたとのこと。これは自分が復帰してからもしばらくは似たような状況が続きました。

 ところが、本番が近づくにつれて、1,2回生がソロを吹く雰囲気はだんだんと消滅していきました。というのも、交響曲第5番はTubaパートが1stと2ndに分かれていて、Soloが書いてあるのは1stだけ。音域や人数バランスの都合から、3,4回生が1st、1,2回生が2ndを吹いていた状況だったので、自然と1stの3,4回生が吹く流れになっていったのです。

 …というのは表向きの話。勝手に推測するに、たぶん「最後だし先輩に吹いてもらおう」みたいなことを各々が考えていたんじゃないでしょうか。でも1,2回生もチャンスがあるなら本気で練習してみてほしかったな。たぶん良い感じになったと思います。彼ら彼女らの本気をすぐ近くで見てみたかった、という4回生としてのわがままですね。


3回生の後輩

 ほぼ一騎打ち状態となったソリスト選び。3回生の後輩と本格的に相談を始めたのが11月。彼女の思いは、「最後になるかもしれないからソロは吹いてみたい。でも、練習参加の状況や単純な技量を考えると"私がやります!"とは言いづらい…。」とのことでした。

 お気づきの方もいるかもしれませんが、彼女の状況と1年前の自分の状況は少し違います。彼女にとってこの定期演奏会は「最後かもしれない」のです。練習場所から離れたキャンパスに通い、実習もある学科に所属する彼女は、来年奏者としてバンドに参加できる可能性は低い。最初から復部を見越して動いていた1年前の自分とは全く違う状況なのです。むしろ心情としては、今年の自分と重なる部分が多かったかもしれません。

 授業や実習、アルバイトで忙しいながらも部活に頑張って参加して、好き勝手に振る舞う自分の隣でいつも真剣に音楽と向き合い続けてくれた彼女を、自分は3年間ずっとリスペクトしていました。だから、彼女の思いには応えたい。けれど、自分にも今回のSoloにかける思いはあります。一瞬だけ、今まで抱いたこともなかった悩みが脳裏をよぎりました。

 でも、自分の中にはそんな悩みを跳ね除ける答えが最初からありました。それは、"オーディションをすること"。自分たちの演奏を他人に聴いてもらい、判断してもらうということです。楽器の経験年数は圧倒的に自分の方が長く、技量はたしかに自分の方が上かもしれません。でも、そういうことを全くゼロにして、お互いまっさらな状態で演奏だけを聴いて判断してもらう。同じフィールドで最後に対等に向かい合う、これが彼女への3年分のリスペクトを込めた自分なりの答えでした。

 彼女との相談の中で「オーディションをしたい」と言うと、前向きな反応を示してくれました。ただ、追加で「指揮者と相談してみる」とも返ってきました。


正指揮者の考え

 交響曲第5番を振る3回生の正指揮者。Tuba Soloについて彼に話すと、やはり彼もこの件についていろいろと考えていました。二人での飲みの席で自分の考えを改めて彼に伝えたところ、少し自分のものとは違う内容が返ってきました。

 彼の意向はこんな感じでした。8月の初回合奏以降、メインでSoloを吹いてくれていたのは3回生の彼女。しかも彼女は今回の定期演奏会が最後かもしれないので、正直彼女に吹いてほしい気持ちは強くある。だから、指揮者として設定する"一定のライン"を彼女が超えていたらSoloは彼女に任せたい、とのこと。

 正指揮者の彼は2年以上同じバンドやアンサンブルで自分と吹いてきたのもあって、おそらく自分の手の内はほぼ知り尽くしていることでしょう。それと比べるのではなくて、純粋に彼女の音楽と向き合って判断をするということ、言い換えると「3回生の彼女次第」ということを提案してきた訳でした。

 彼のこの答えは自分が思い描いたものとは少し違うものでした。しかし、彼女をリスペクトしたい気持ちはどちらも同じ。それに第一、指揮者に対してNoを言える立場に自分がいるはずがありません。このとき、正指揮者の判断にすべてを委ねることにしました。


偽善への転落

 そこからの合奏数回は、バーンズの第1楽章をやるときは"彼女の"オーディションということに事実上なっていました。正指揮者が彼女の演奏を聴いて一定のラインを超えているかどうか判断する場ということです。

 が、彼女は忙しさ故になかなか合奏に参加することができませんでした。日に日に他のパートのソリストが決まっていく中、少し複雑な思いで自分は判断の日を今か今かと待っていました。もちろんその間も、Soloの練習は続けていました。ただ、真剣にSoloと向き合うにつれて、自分の中にある抑えていたはずの欲も日に日に大きくなりつつありました。

 そして本番まで一週間を切ったある日、交響曲第5番の通し練習の冒頭、彼女がSoloを吹く機会がやってきました。一生懸命吹いていたと思います。頑張っていたと思います。

 でも、演奏を聴いたとき、抑えていた欲がついに自分の中で溢れてしまいました。「やっぱり自分が吹きたい」と明確に思ってしまったのです。1年前、練習の度に口にしていた「上手いやつが吹くべき」という考えも、自分の欲を後押しする形で再び現れました。「自分の方が…。」これまで後輩たちの気持ちに耳を傾けてきたのが嘘のように、冷たく真っ直ぐな自分がいました。

 残念ながら、人間ってそういうものですよね。本気でやればやるほど、どんどん自分の「やりたい」が強くなってくる。最後、目を逸らしていた本当の気持ちに、全てを支配されてしまいました。彼女の演奏が終わったあと、気がつけば自分は正指揮者の設定する合格ラインが少しでも高いことを祈っていました。こうして、これまで後輩に寄り添ってきた自分自身の行為を、たった一瞬で自らによって全て偽善にしてしまったのでした。


救世主

 なんとなく結果は分かっていました。「Soloは3回生の彼女にお願いすることにしました。」と正指揮者からLINEが来たのがその日の夜。知っていたはずなのに、勝手にショックを受けていました。あの日居酒屋で、二人で話してなんとなく納得したはずだったのに。正当な理由のない不信感が勝手に湧き出てきました。あの日、世界一最低で、世界一ダサい人間だった自信があります。

 言葉にも表せないようなぐちゃぐちゃに絡まった気持ちでしたが、それでも誰かに愚痴を聞いてほしくなりました。電話で話を聞いてくれる人を一生懸命探したけど、そもそもこんな内容誰にも話せない…と時間が経つにつれてじわじわ気づき始めました。

 もうやめようかなと思っていた矢先、一人の名前が目にとまりました。それは、去年の正指揮者を務めていた同期の名前。1年前、日々お互い意見をぶつけ合い、度々関係性にヒビを生みながらも一緒に音楽をつくった仲間です。メッセージを送ると、まあまあ遅い時間だったのに彼は快く通話に応じてくれました。

 1時間、いろいろ話しました。きっと1年前には聞けなかったことをたくさん聞きました。そして、彼と話しているうちにあることに気がつきました。自分はずっと、自分のやりたいこととバンドの現状をぶつけ合わせてきて、二つが合わないことにひたすらストレスを感じているんだ、と。自分のやりたいことはバンドの現状にぶつけるんじゃなくて、どこかにはめ込まなきゃいけないんじゃないのか。少しだけいろんなことの解決の糸口が見えた瞬間でした。

 今思えば、このときは同時期に幕前アンサンブルにも選ばれなかったこともあり、本当に落ち込んでいたと思います。でも、周りからいろんなものをもらって、なんとかギリギリで踏みとどまることができました。あのとき電話に応じてくれた同期をはじめとする皆さんには本当に感謝しています。

 周りの助けによってどん底をなんとか脱し、かすかな希望を抱いた状態で、ついに12月10日を迎えました。


輝く後輩

 迎えた本番。交響曲第5番のTuba Solo。ソリストの隣の席で、目をとじて彼女の音を聴いていました。何も考えずに、ただ彼女の演奏に耳を傾けていました。時間にしてたった20秒弱。でもそのときはもっともっと長い時間聴いていたような気がします。一つ一つの音を、頭の中の楽譜とともにたどっていく。しばらくして彼女はSoloを吹き切り、曲は次の場面へと進行していきました。

 曲の演奏が終わり、最後にカーテンコールで彼女が拍手を受けているのを見て、ふっと「これでいいか」と思いました。なんの脈絡もなく、なんの根拠もないけど、輝いてる彼女の姿を見て、自分の戦いの終わりを感じました。

 ちなみに、その後の部長挨拶の「挑戦」という言葉にハッとさせられたのは、この言葉が正指揮者の判断の根拠だと悟ったからです。(詳しく気になる方は冒頭でご紹介した別のnoteをご覧ください。)

 終演後、今まで抱いてきた負の感情は嘘みたいに消えました。本番が終わって残ったのは、これまでの戦いによる疲労感と本番終わりの達成感だけでした。

 4年間の集大成、というよりかは、この本番はどちらかと言うと3年間のあとについてきたスピンオフみたいなものでした。あとから振り返ると、思ってたよりも何もできなかった自分に拍子抜けしそうになります。でも、他の部員や観客がこの本番から何かを受け取ってくれたならそれでいい。何も言うことはありません。


手紙

 定期演奏会が終わって数週間、卒業論文の執筆や他の本番に忙殺される日々が続きました。気がついたらあっという間に年の瀬。その勢いのまま2024年を迎えてしまいました。

 1月中旬に大教吹部の仲間とともに出る本番を控えた自分は、先日久しぶりに部室に足を運びました。譜面台を借りるために足を踏み入れた倉庫。すると、自分の楽器ケースの上に透明な袋が置いてありました。

 「シルバ先輩へ。」差出人は3回生のTubaの後輩の彼女、中身は手紙付きのお菓子セットでした。驚きを持ってその場にいた同期に報告したところ、クリスマス前から置かれていたとのこと。早く言ってよ。

 家に帰って手紙を読みました。「へたっぴなのにソロもやらせていただき、恐縮でした…」。いえいえ。へたっぴにソロなんか吹けないよ。あのステージでソロを吹いて、カーテンコールで拍手をもらったあなたは、十分素晴らしいTuba奏者です。そんなことを考えながら、もらったお菓子を食べていました。

 手紙の最後は、「とにかく本当にありがとうございました!」と締めくくられていました。

 こちらこそ、3年間ありがとう。おかげで楽しかったよ。

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