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シルバ・スクエアとはなんだったのか

「顧問だよね。」


 わしが部員からどう見えているのか、その疑問の答えとして、いつか、誰かから聞いた言葉です。そうか、顧問か…。「顧問のいない吹奏楽団」として、この部を良い集団にしようと努力した結果、自分が顧問になっていたという最大のパラドックス。あんまり笑えませんね。
 まあ、でも人生そんなものなのかもしれません。全部が全部うまくいっていたら気持ち悪いですもんね。そのときはそうやって、無理矢理に自分を納得させました。

 振り返ってみたら、わしがこの1年間やってきたことは、たしかに顧問のそれでした。「靴を入れろ」「運搬手伝え」「窓閉めろ」「時間守れ」、そして「ルールを守れ」。どう見ても顧問です。本当にありがとうございました。
 
 でも、これは皆さんがわしを顧問にさせたんですよ?

本当の目的


 わしが三役に入ってきた本当の目的、それは、「制度改革」でした。部の運営の効率化を図るため、アフターコロナの時代に合う吹奏楽部にしていくため、吹奏楽部を制度面から変えていくために副部長という肩書きを手に入れました。
 しかし、蓋を開けてみるとそこにはなかなかたどり着けませんでした。なぜなら、意外と皆さんが"ちゃんとしていなかった"からです。ものすごく誤解を生む言い方で申し訳ありません。決して、皆さん個人の性格を否定しているわけではありません。わしが言いたいのは、吹奏楽部の集団のレベルが低かったということです。

 曖昧な時間管理、適当な出欠管理、メリハリのない練習中の雰囲気。きっとコロナ禍による長い休止期間を経て、こういう風になっていったのだと思いますが、お世辞にも「良い集団」と言えるような状態ではありませんでした。こんな状態で制度改革を行っても、わしが目指している吹奏楽部にはなれない。そう思い、わしの目的は吹奏楽部の「制度改革」から「意識改革」へとシフトしていきました。こうして、わしの"顧問"的な立ち位置が確立されていったのだと思います。そして、この立ち位置であれこれ忙しくしているうちに、今まさに副部長としての任期が終わろうとしています。

自己嫌悪と孤独


 じゃあ、そうして始まった顧問的立場としての日々はどうだったか。正直、めちゃくちゃ辛かったです。本当は、あんな役割なんてしたくありませんでした。わしもみんなと同じように吹奏楽部を楽しみたかった。

 初めてミーティングでお気持ち表明をしたサマーコンサート1週間前の土曜日、部長と2人の帰り道であまりの辛さに思わず涙がこぼれたことを思い出します。だって、部員の皆さんのことが大好きだから。きつい言葉なんて本当は言いたくありませんでした。でもそれ以上に、大好きな吹奏楽部をもっと良い集団にしたかった。周りから「お前のいる吹奏楽部、いいよね」って言われるような集団にしたかった。

 それでも、やっぱり、人間として大好きな人に、厳しい言葉を言わなきゃいけないときは、あまりに辛い瞬間でした。

 そして、「顧問」という言葉が表しているように、この立ち位置は孤独でした。部員と顧問、皆さんとそんな関係になってしまう瞬間があって、それも嫌だった。わしだって本当はただの部員の一人です。早く引退したい、引退して、みんなと元の関係に戻りたい。心からそう思ったこともありました。

救い


 でも、わしの言葉が、誰かを救う瞬間もきっとある、同じように「この部を良くしたい」って思っている、その誰かにきっとわしの真意は伝わっているはず。そう信じて、相変わらず毅然とした態度で部活動の日々を過ごしました。

 そしたら、少しずつ、少しずつですが、状況が変わり始めました。感謝してくれる人、協力してくれる人が増え始めました。やっぱり真意は、少しずつですが、確実に伝わっていました。特に、後輩の次期幹部候補たちは、本当にわしの思いをよく汲み取ってくれました。君たちがいたから、わしは最後までシルバ・スクエアであり続けることができました。

 そして、定期演奏会が終わったあと、たくさんの部員からメッセージをもらいました。1年経って、気づいたら本当に多くの人に慕われるようになっていました。あんなに怖い顔をしていたのに、あんなに厳しいことばかり言っていたのに…。本当に嬉しかったです。そして、救われました。大切なものを犠牲にしてきた日々でも、それは決して無駄じゃなかったと、皆さんのおかげで思うことができました。

シルバ・スクエアとはなんだったのか


 今日で、「副部長 シルバ・スクエア」は終わります。一体、彼は何者だったんでしょうか。

 わしは、彼は"ただただ吹奏楽部が大好きな人"だったんだと思います。1年前、彼は所信表明で「私は吹奏楽が大好きです。でもそれ以上に、この吹奏楽部が大好きです。」と話しました。きっと、最後までその思いが消えることはなかったのでしょう。

 だから、どんなに厳しいことでも、どんなに難しく見えることでも諦めなかった。「この吹奏楽部で実現したい」と思って、誰よりも奔走した。部員が辞めるとき、一緒に本番に乗れなくなったとき、誰よりも心を痛めた。時間があるとき、誰よりも音楽練習室を綺麗にした。個人練に来てる部員を褒め続けた。
 誰よりも吹奏楽部のことを考え続けた。そして、そのアウトプット先として生まれたのが、このnoteです。

 きっと全部、吹奏楽部への愛でしかありませんでした。まあ、それにしてはちょっと愛情表現が下手でしたけどね。そんな大好きな吹奏楽部のために身を捧げた1年間、今振り返ってみれば、本当に幸せだったと思います。

 今はまだ、これから先の吹奏楽部がない生活が想像できません。ですが、しばらく経ったらまたそんな生活にも慣れていって、きっと吹奏楽部での日々が懐かしくなる瞬間が来るんでしょう。寂しいですが、きっと人間なんてそんなもんです。

noteを閉じるとき


 このnoteを始めたとき、最初から「引退する日までにしよう」と決めていました。それまでに、伝えたいことを全部書こう、そう考えていました。でも当たり前ですが、そんなことは不可能です。まだまだ伝えたいことがいっぱいあります。

 でも、ここでこのnoteを閉じないと、わしはきっと明日からの日々を始めることができません。「シルバ・スクエア」をここで一度終わらせて、吹奏楽部員としての自分にお別れしなければいけません。大丈夫、必ず来年の秋にはまた戻ってきます。そのときまで、しばしのお別れです。

 ここまで、11月下旬からほぼ毎日、思いの丈をこのnoteに綴ってきました。その数、投稿数にして23、おそらく文字数は50,000字を超えていると思います。最初は自己満足の日記帳として始めたこのnoteでしたが、最後の方は多くの人に見ていただきました。ありがとうございました。

 さっきも述べたように、まだまだ書きたいこと、伝えたいことがたくさんあります。でも一度ここで終わろうと思います。また、どうしても我慢できなくなったら戻ってくるかもしれませんが…、いや、たぶんないでしょう。それはあまりにもダサいので。

 というわけで、そろそろ終わろうと思います。
 それでは、皆さんお疲れさまでした。また会いましょう。お元気で!

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