同じ顔になれる粉
その日、私は顔のない男に出会った。
顔がないのになぜ男だとわかったかといえば、まぁ、その、あれだ。
顔のない男は大変困っていた。
さもありなん。誰からも自分という存在を認めてもらえない。
一時は悪事に手を染め、莫大な金、宝石、有価証券を保有するに至ったという。
しかし、使いみちは限られていた。
彼の存在を認めてくれるのは無機的な自動販売機、自動改札機、その他もろもろの人ならざるものであり、本来ならば新世紀の怪盗として祭り上げるはずの三流ゴシップ誌ですら彼の存在を完全に無視した。
そんなわけで、苦悩の怪人ゼロ面相氏はすがるような表情(と思われる声色)で私に助けを請うたのである。
幸い、私はSF作家をするかたわら、世の中のちょっとした傍流にも通じていたので、彼のために一つの薬品を提供した。
"同じ顔になれる粉"
効果は未知数、だが出どころは確かな代物だ。
SFのショートショートにはしばしばこの手の不思議な薬品が登場するけれど、そのすべてがフィクションだと侮ってはいけない。
閑話休題。
問題は「誰と同じ顔になるか」だった。普通なら自分と同じ顔の他人などごめんこうむる。普通ならばね。
「よし、私の顔をキミに提供しようじゃないか」
おそらく、締め切りを催促しにくる編集者から逃げるのに便利とか、そんな軽い気持ちだったと思う。とにかく決断は早かった。
数分後には、まったく同じ顔のSF作家がもう一人誕生していた。
予想外だったのは、彼もまたなかなかの文筆家であったことで、私の文体をあっという間にマスターし、正直なところ最近の作品の多くは彼の手によるものだ。
自宅の書斎に突貫工事で建て付けた秘密の通路は、彼の居室へとつながっている。同じ顔をした人間が同時に外をぶらついてはさすがに怪しまれるので、出かけるときは交代を厳守している。
気がかりなのは、こうなってしまうともう私の存在そのものが希薄になってくることだ。
読者はもう"私"の文章がなくとも不自由を感じない。
それどころか、私の顔が私を特定するものでなくなった時点で、私の顔はもう"彼の顔"だと考えることもできる。どちらが先にこの顔であったかなど、この際、他人にとってはどうでもいいのだ。
彼もそれに気づき、寝ている私に"顔のない顔になる粉"を使ったようだ。
なぁに、恨んではいない。
それよりこれから知り合いに顔をもらいに行こうと思うのだが、さて、今度はどんなふうに泣きつこうか。
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