「大変ですから」

その店の看板は小さかった。
誘われるようにして小径を歩くと、
外からは行き止まりにしか見えない場所に小さなカフェがあった。

見過ごしそうなほど、小さな看板。
だがたまたまその日、私は知らない場所を探検しようと決めて家を出たのだった。

「いらっしゃいませ。よくここまでお越しくださいました」
マスターの最初の一言が、この店の入りにくさをよく表現していたと思う。

店内は、水出しコーヒー器具の目立つカウンター席と、テーブル席がたった二つ。
こぢんまりとした室内ながら、座席が少ないせいで心地よい空間が広がっていた。
なにより、マスターの手作り料理は滋味に溢れ、探検気分じゃないときも通い続けなければならなくなった。

数週間に一度の割合で足を運び、すっかり顔なじみになった一方で、わからないこともある。
それは店内に飾られたたくさんのアンティーク時計。
窓辺に飾られた生花がマスターの趣味でこまめに生け替えられているのに比べると、
アンティーク時計たちはずっとそこに、時が止まったように居並んでいた。

おそらくアンティーク時計はマスターさんの趣味ではない……。

「気をつけてお帰りください。何かありますと、大変ですから」
「また、来ます」
ごちそうさまでしたと言いながら店を出る。

小径を抜けると、小さな看板が出会ったときのまま、ひっそりたたずんでいた。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

このお話は、れとろさん(https://note.mu/retro09)が挑戦されている「100のお題」に、れとろさんの了解を得て参加させて頂きました。
れとろさんの作品:70.夢見るうさぎ もぜひご覧ください。
おかげさまで久しぶりに文章を書く機会を得ました。感謝!


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