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“推し”文化は性に合わない的な話

真っ先に補足します。
あくまで“私に”合わないという話です。

人の“好き”は仮に理解できなくても否定するべきものではないと思っているので、
何となくぼんやり頭の中に発生した感覚をまとめてみたいだけの文章です。

さて、何でそんなことを思ったか。

前提条件として、私は“スター性を取らない”ことで有名な団体の舞台パフォーマンスを長く見てきています。
(わざわざ濁す必要あるか…?)
“誰が”やるかではなくて、“何を”見せてくれるかが重要。
行く以上は素晴らしいプロフェッショナルの仕事を見られて当たり前。
そんな世界です。

パフォーマンスが良ければ誰がやっても良いし、何よりも重要なのは舞台の出来なんですね。
もちろん、同じことをしても特に〇〇さんが上手い!作りこんでて好き(パフォーマンスが)!というのはありますが。

あ、これアイドルとかだとまったく別の話になると思います。
彼・彼女らは“個”の魅力が武器なので。

で、最近ちょっといいなと思うようになったダンサーYouTuberグループがいまして。
動画が楽しかったので、タイミングよくチケットがあったメンバーのトークショーに何となく行ってみたんですけど。

何というか、内輪ノリがきつい。
(普通ファンしか来ないんだからそりゃそうだ)
前提から分かってて当然みたいなノリをはじめ、別段面白くもないのにみんな笑う笑う。

要するに私のエンタメを楽しむスタイルに合ってなかったってだけの話なんですが、
パフォーマンスとして出来上がってないものに時間とお金を割くのって、“その人”を見るためなんだなと思ってしまい。
もちろんダンサーなので、ダンス以外の部分にプロを求めるものではないと思うんですけどね。
パフォーマンスを楽しみたい私に合った世界ではないんだなと理解した次第で。

野次とはちょっと違うけど、ステージへの声掛けとかも『分かってます』感があったり妙に馴れ馴れしかったり。

貶し愛?なるものもあるみたいですが、これって
『こんなところまで私は見てる』
とか
『そんなところでも好きな私は真のファン』
みたいな、自分よく見てますアピールだったり全部好きって本人へのアピールだったりも底にあると思われて。
もちろん好きだからこそ一挙一動まで見るし語りたいっていうのもあるでしょうけど。

大した事ないことまで何でもかんでもほめちぎるのって逆に推しのためにならないんじゃないかとか、
しかも『好き!』やら『沼…!』って誉め言葉なのか…?とか。
いえ繰り返しますがアイドルならまだ分かるんですけど。
『すごい!』より『好き!』を売る職業ですし。

まぁそういったファン心理もまた収益に繋がることを考えると、むしろ必要とされている感情なのかも。
(度が過ぎるとトラブルの元だけど)

…なんて話を、某アイドル界隈のオタクな知人と雑談したのが先日。
アイドル界隈だけあって“推し”文化にも通じている彼女曰く、
「自分の情熱を語りたいし、見える形で誉めちぎることで推しが良い気分になったらいいかなって」
“個”を追っている以上それは理解できるんですけどね。

パフォーマーにとっては芸を認めてもらえるのが一番なんじゃないかなぁと思ったりもしますが、
そもそも人気がなければ芸を続けていくのも難しい以上は“個”を売るのも致し方ないことなのか
それともどんな形であれ己の人気があることは嬉しいことなのか。
惹きつける力もまた重要な能力のひとつではあるとは思いますが。

エンタメには色んな楽しみ方があるなぁ…と思いつつ、
私の好きな実力ありきの界隈にそういったファンが流れてこなければそれでいいやと思う次第。
いや最近ちょっと流入してきてるけど。
それともSNSの発達で声の大きいごく少数が目立つようになってきただけか。

兎にも角にも、合わないところには立ち入らない方がストレスが少ないなと思った次第。
楽しむためのエンタメですしね。

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