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シリーズ”プロ雑用の失敗”を始めます

こんにちわ、プロ雑用です!
世間的に、いろいろあった2020年もそろそろ終わり。昨年までの天災とは違った、人類全体に直接影響を及ぼす出来事としては、歴史書に必ず載るであろう出来事が起こった年でした。
個人的には、数え42、男の本厄でしたので、いろんなことが起こるだろうなとは思っていましたが、振り返ってみると、とても良い年でした。

で、今回はそんな話とは全く関係なく、わたしが過去生きてきたなかで、やらかしてしまったことを、ここいらでいっちょ公開しようかなと思い立ちまして「プロ雑用の失敗」シリーズをリリースしたいと思います。
なんでそんなことをわざわざするのか?
と言いますと、それにはいくつかの理由があります。

一つは、顔が知られてきたので。
もう一つはキラキライメージの払拭。
最後は、失敗学の実践です。

順番に解説していきます。

1.顔が知られてきたので

昨年のkintone hive登壇後、おかげさまで一気に顔を知っていただく機会が多くなりました。
また、kintoneコミュニティだけでなく、情シスコミュニティなど他のコミュニティにも所属したこともあって、多方面にさまざまな繋がりができました。先の登壇、そしてプロ雑用という謎の肩書きのインパクトとの相乗効果もあって、思った以上にみなさんに顔を覚えていただきました。
それがきっかけで、いろいろなイベントに呼んでいただいたり参加する機会も多くなりました。
リアルの場や、SNSでもお声がけいたくことが多くなってきました。

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一方で顔が知られることの怖さ、というものも感じています。
わたしの場合、顔が知られてきた、と言っても小さいコミュニティの中の話ですから、本当に有名な方々に比べたら大したことではないのですが、芸能人や著名人、YouTuberの炎上などの事件のニュースを見るにつけ、やらかしてしまうことの怖さが目につくように。

なぜああいう炎上や事件が起こるのか。
さまざまな要因があるので、一言で語るのは難しいかと思いますが、原因の一つには、過小評価というのが考えられます。
何を過小評価しているのか、というと、自分の影響力と、情報の拡散速度という二つが挙げられるかと考えます。
つまり「内輪なら許される」発言や行動を、影響力と拡散性を考えずにしてしまう、ということです。
(炎上系と呼ばれる人はワザとやっているので除外)

2.キラキライメージの払拭

もう一つは、先の顔が知られることに関連します。
顔が知られてくるに従い、自分が予想しないような評価をもらっていることがあります。
わたしの場合、「すごい」「完璧」「ミスしなさそう」「実行力がある」「なんでも上手くやれる」などという感じに見られることが多く、過剰評価されているなと感じる場面が多くなってきました。

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まぁ、過剰評価はうまく使うとハッタリ力になるし、人を動かせる力になるので、けしてマイナスなことばかりなのではないのですが、過剰評価されることの弊害というものもあります。

わたしが最も危惧しているのは、そういったキラキライメージが大きくなりすぎると、こちらの言葉が相手に届かなくなることです。
どういうことか?

みなさんも経験があるだろうし、わたしももちろん経験があるのですが、「すごい人」「偉い人」の話って、どこか遠い話に聞こえませんか??最初から「自分たちとは違う次元の話」と感じてしまうと、「すごいな。すごいけど、自分には無理だな」って最初から感じてしまうんですよね。
ある漫画ではこういうセリフがあります。

"憧れは、理解から最も遠い感情だよ。"

わたしは「天才」は、ポジティブ差別用語だと思っています。
尊敬や畏敬などは、それ自体、なんらネガティブな要素はないのですが、それだけに、自分と相手に無意識に壁を作ってしまうことで「あの人は天才だからできるのだ。初めから自分とはレベルが違うのだ」と思い込んでしまうことはないでしょうか。
「自分とは違うすごい人なのだから、自分がいくらやってもできっこない」と思われるのは、発信している側からすると、大変に不本意です。
(たしかに、登壇すること自体に価値を置く口だけクソ野郎や単なる目立ちたがりが多いことも事実ですが)

こんな言葉もあります。

"Imitation is the sincerest form of flattery.(模倣は最大の賛辞)"

わたしが登壇したり発信したりする理由としては、皆さんに参考にして欲しい、あるいは真似してほしい、と考えています。
「すごい」「素晴らしい」などのお言葉も確かに大変嬉しいのですが、それよりも、「真似しました!」「実践してます!」とかの方が、ずっと嬉しいんですよね。
そして可能なら、真似してみた結果、失敗したという話が聞きたい。失敗談は成功例より遥かに高い価値があります。

3.失敗学の実践

勝利(成功)は運、敗北(失敗)は科学。

勝利や成功には、自分たちの努力や準備など以上に、運の良さというのが大いに関係しているから、他者が真似ることができない、再現するのは難しい、という意味。
逆に、敗北や失敗というのは、運以上に自分たちによることが多いので、すべて科学的に原因を理解することができる。という意味です。

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先ほど、失敗談は成功例より遥かに価値が高い、と書きました。
まぁ、自分の失敗を伝えるのは、恥ずかしという抵抗がありますよね。
わたしも人間なので恥ずかしさというものが、昔はありました。
今は、恥という概念のことは忘れてしまいましたがw

成功例は、これまで登壇の場などで発信してきましたが、やっぱりわたしは失敗の話をしたほうが、世の役に立つんじゃないのかなぁと思っています。なので、せっかく恥という概念も忘れていることだし、ここらでちょっと忘れっぽい私の記憶に残っている、特に大きな失敗談を共有し、それをきちんと振り返ることに価値があるのではないかなと考えました。

どんな失敗を晒すか

いままでを振り返ってパッと思いついたのは以下のような失敗談です。

* 利益を全部ふきとばした話
* わかった気になっていた話
* 完璧を目指しすぎた話
* 間違えたチャレンジの話
* 受験に失敗した話
* 事実にフォーカスしすぎた話
* 挑戦しなかった話

以上のテーマで、今年中にぜんぶ書きたいなぁと考えています。
(!!!)
このnoteもそうですが、私の文章はダラダラと長くなってしまいがちなので、構成を決めておきます。
そしてなるべくコンパクトになるように書くように努力します。

* 失敗シリーズ構成
* やらかした内容、あたえた損害など
* 失敗したときのお気持ち
* どんな教訓、学びを得たのか
* あの時の自分に送るアドバイス

というわけで今回はこんなことやるよっていう予告でした。
次回からは、シリーズを始めていきたいと思いますので、楽しみにしていてくださいね。

それじゃ、また。

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