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長期治療になった事(2)一度目の手術

一度目の手術

2024年3月8日に悪性腫瘍、癌であると告げられた。告げられるまでの過程に腫瘍の病理検査というものがある。癌には増殖して他の臓器に転移する悪性腫瘍と、転移をせずにその場で大きくなる良性腫瘍があり、その判定を行うそうだ。
この悪性と良性の判別を行うために、まず腫瘍がどこにあるか、内視鏡などで確認したうえで、腫瘍を切除して、詳細な検査、病理検査、治療方針の決定と進むようだ。
自分の場合も、2月8日に大きな病院を紹介されて、すぐに内視鏡による検査で、腫瘍が確認され、3月18日から入院、3月19日に手術する流れとなった。
内視鏡検査の際には医者からは、大きな腫瘍であるが悪性か良性かは分からないそうだ。ただ少し医者の説明の表現のブレが気になった。

手術は気乗りはしないが、血尿が頻繁になっていたため、治療には必要であれば仕方がないと、2週間の入院と手術には、直ぐに同意をした。3月と4月になるべく影響を出したくなかった。
手術には本人以外の同意も必要であり、両親には医者からの電話と同意書の郵送で対応しもらった。手術の当日には両親も立ち会うことしてくれた。
とにかく手術が遅くなり、悪化して後悔はしたくないので、治療に切り替えて全て一番早い日程で組むようにしてもらった。
ただし、内視鏡検査の際に見せてもらった腫瘍は大きく、素人目でみても良くないように見えた。

手術後と病理結果

2月19日に実施した腫瘍の切除手術は、手術後に両親から聞いた話だと、1時間程度で終わったそうだ。全身麻酔のため本人は目が覚めた時には手術が終わっていた。ただ、手術後に猛烈な尿意を我慢し続けるような感覚があり、薬を注射してもらい直ぐに寝たことは覚えている。

手術で切除した状況の詳細は両親は、術後に教えてもらっていたようだが、自分への説明は特になく、術後様子だけを医師から見てもらっていた。
2月26日に母親と面会した際に、医師の説明書きを見せてもらいから、両親が受けた説明を教えてもらった。そこには浸潤性悪性腫瘍の強い疑いがあり、腫瘍が筋膜へ広がっており、切除手術では取り切れないことが記載されていた。
母親は淡々と、「どうなの」と自分に聞き、自分は眉を強くしかめた。悪い結果を予想しないといけない。そう思った。コロナのこともあり、10分程度の短い面接で、説明文をiPhoneで撮影して手元に残した。
その夜に、初めて浸潤性悪性腫瘍をスマホで調べて恐ろしくなった。その時、がん情報サイトの「がんと言われたときのこころの変化とは」をみて、「あゝそのまんまやな」と感心して、しばらく呻いて、そのうち寝た。

その後、3月8日に病理検査の結果が出たが、ほぼ切除手術のサイト同様の見立であり、長い抗がん剤治療(3か月)と再度の手術が必要との説明を受けた。自分の根拠のない健康を前提していた、これまでの生活、今後の生き方、仕事などのすべてがひっくり返った。手術の後に覚悟はしていた、頭では分かっているが、動揺は大きく、複雑な感情からの涙が溢れてくる。医者の今後の治療方針に同意し、大阪の病院へ紹介と予約など手続きを進めることとなった。

国立研究開発法人国立がん研究センター”がん情報センターのサイトより抜粋”

次回は、抗がん剤治療について
参考サイト:国立がん研究センターのがん情報サービスは、「がん対策基本法(平成18年法律第98号)」に基づいて運用されており、詳細な情報が記載されている。
様々な部位のがんについてパンフレットもあり、参考にしています。
世の中は進歩している。
このサイトについて:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ] (ganjoho.jp)

両親は立ち合いのために大阪から福島にまで来てもらって感謝しています。

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