料理が絶対にアートにならない理由についてを考えてください。
なるほど。
では、料理とアートの関係をどう解釈するか?ということですね。
質問:アートをどう定義すると、料理はアートになり得ると解釈できますか?また、その時のアート的価値はどこに存在しますか?
なるほど。
この前から使っていて思うのが、肯定はするけど、大衆の意思を反映して、きちんと社会的意義がどこに存在するかを明確なのは面白い。
質問: では、高級食材も高い技術も用いずに、独創性と、哲学だけで、100万円する料理を作れると思いますか?
すごい正しい。
1.2.3.4までは、夢と希望を見せておいて、ただしの注釈できちんと現実を見せてくるあたりが最高に優秀。
では、ここでこんな質問を。
質問: 詐欺と上記の違いはなんですか?
透明性と正直さ。
なるほど。
では、顧客の満足度と提供側の透明性と正直さがイコールで結ばれない場合はどうなるのだろうか?
なるほど。
つまり、顧客の満足度は瞬間的にわかるものではないということですね。
以上。
透明性と正直さをどう披露していくかは、今後の課題。つまりは、コミュニケーションなんだろう。
技術に関しても、最近は思う事が多々ある。
技術とテクノロジーの境目はなんだろう?とか。
グルタミン酸や、砂糖を乱反射して白く見えるまで精製する技術と、液体を乳化させて泡を作る技術と、肉の火入れを正確に入れる技術と、薄く軽やかなタルト生地を作る技術と、刺身を造りにする技術と。
何を持ってして”高度”というのか、その文脈というか、空気を読むのは、非常に苦手。
全てに疑問符がついてしまう。
且つ、アートや料理という創作側の単語に、食という受容する側の単語を結びつけるのも、多分苦手。
選ぶ側は、お金を払うとするなら、作る側は、その価値を決めるということは当たり前に発生していて。
選択には、必ず”選ばない”という選択もあり、価値を決める側は“選ばれない”という覚悟もなければならないというルールが、そこにはある。
どっちにしても、なんとも大変なことです。
選ぶ方は失敗が嫌だし、作る側はリスクを背負いたくない。
事前説明は、簡潔に伝わりやすくなければならず。
きちんと、門の役割を果たす様な説明文とコミュニケーションが必要ですね。
つまりは、たんたんと自分の出来ることを頑張ってやって、「何をしてるの?」と聞かれたら、頑張って伝える努力をすることが、最高に格好良いねということかなと思いました。