密室系/地下室系とぼく

永遠に続くものなどない。犬神サアカス團から犬神情次2号と犬神ジンが脱退するというニュースを見て、すっかり感傷に囚われた状態でこの文章を書いている。かつて、90年代末期から00年代初頭あたり、密室系/地下室系というシーンがあった。



自分の音楽的嗜好を決定付けられた瞬間は、振り返ればいくつか思い当たるところがあるが、そのうちのひとつとして確実に cali≠gari は存在する。出会いはたまたま店頭で発見した「第5実験室」だった。その CD は他の作品とは確実に違う匂いを発していた。ジャケットや曲目を見てみても、明らかにアングラで病的なオーラを発していて、最初は怖くて買うところまではいかなかった。しかし自分の記憶にははっきりと、強烈にその名前が刻まれた。それから雑誌でインタビューを読むほどに彼らのキャラクター、思想にどんどん惹かれていき、ようやく最初に手に取ったのはそれから約半年後の「ブルーフィルム」だった。ヴォーカルはすでに後任に変わっていた。そのちょうど境目の頃にカリガリにハマったので、自分はその前と後、どちらのカリガリにも思い入れがある。それから急いで過去の作品を買い集めた。気色の悪いジャケットの CD が徐々に増えていることを両親は危惧していたかもしれない。



そこで初めて密室系/地下室系というジャンルの存在を知った。自分の記憶が正しければ、一番最初の仕掛け人は FOOL'S MATE だったと思う(もちろんアプレゲールなどもあったとは思うが)。インディーズ界隈の端っこで密かに起こりつつあった潮流にいち早く目をつけ、特集を組んでプッシュし、それが徐々に熱を帯びて広がっていった。横の繋がりの強いジャンルだったので、 cali≠gari を知れば自動的にムック、犬神サアカス團(当時は犬神サーカス団)、グルグル映畫館などの名前を知ることになった。音楽性は各バンドでまちまちだったが、それらに共通する世界観として昭和時代特有のモダンかつデカダンな美意識というのがある。仄暗く、湿っぽく、しかし時には洒脱で軽妙なその世界観は、当時10代の自分には完全に未知の世界だった。他では味わうことのできない魅力があると信じて疑わなかった。その思いは今でも変わってなかったりする。



自分が音楽に求める要件のひとつに「越境」というものが割と強固にあって、その価値観はもしかしたらこの密室系で培われたのかもしれない。例えばヴィジュアル系の場合、ザ・ヴィジュアル系的な音楽を求めるとするならば、極端な話、自分としては X JAPAN 、LUNA SEA 、L'Arc-en-Ciel あたりで十分事足りていたりする。そもそもヴィジュアル系そのものが色んな音楽的影響の混ざり合った末に出来上がった、ハイブリッド中のハイブリッドなジャンルだと思うけれど、そのハイブリッドをそのまま模倣してしまっても、それはもはやハイブリッドではないわけである。ダシ作りをすっ飛ばしてラーメンを茹でているようなもので、本質が損なわれていると感じる。それよりもさらなる異種配合、さらなる実験が見たい、となる。ゲテ物好きとも言えるかもしれない。基本的に見たことないものが見たいわけだ。そんな自分にとって密室系というのは打ってつけだった。昭和初期の古き良き世界をリバイバルし、それが隆盛を越えて多様化が生まれつつあった当時のV系ブームと上手いこと合致していた。当時の主流に対するちょっとしたカウンターであり、ちょっとしたパラダイムシフトであった。その密かな波に自分はどっぷり飲まれていた。



ただ、当時の彼らがシーン全体を意識して、カウンター的なことを敢えて故意犯的にやっていたかと言うと、きっとそうでもないと思う。彼らはただ、たとえ他所がどうであろうが、自分はあれやこれが昔から好きであり、それらを組み合わせてこういうコンセプトでバンドをやったら(主に自分達が)面白いはず、という、かなり趣味的な、好奇心優先の感覚からスタートしてるパターンの方が大勢な気がする。それがたまたま気の合うバンドが同時多発的に生まれ、運良く時代に拾われて、シーンとして活性化した、ということだろう。ただ趣味的に始まったぶん、自らのスタンスに対するポリシーは人一倍強いし、時代の流れで安易にブレたりしない、好きなものだけを突き詰めるというシンプルな強度がある。バンドひとつひとつにくっきりとした個性があり、音楽的にも多様で、もしかしたら共通項は白塗りで和装という部分だけかもしれない、しかしそれでも何となく連帯しているという、この風通しの良さも、自分が密室系に惹かれた要因のひとつかなと、今にしてみればそう思う。



もちろん2019年現在、言うまでもなく、密室系は過去の遺物と化している。カリガリは活動再開し、ムックは現存しているが、いずれも当時とは大きく音楽性を変えている。ほぼそのままの状態で生き残っているのは陰陽座だけだろう。カリガリやムックを差し置いて陰陽座が誰よりもいち早くメジャーデビューを決めたというのは当時非常に驚いたが、バンドを運営するという点で最も意識が高かったのは彼らだろうし、今思えばそれも必然的かと思う。それはさておき、きっとこの先密室系のリバイバルが起こるということはない。自分も期待はしていない。密室系とは時代が切り替わる合間の軋轢から零れ落ちた、ひとつの泡沫というイメージが今でもあるし、泡沫であるが故に他の何処を探しても見当たらない、完全に隔離された秘境のような魅力を感じているのも事実である。ただリバイバルが来るか否かにかかわらず、このある種の憧憬はずっと忘れることはないと思う。たとえ全てのバンドが完全に消えてしまったとしても。

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