Eartheater "Phoenix: Flames Are Dew Upon My Skin"

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アメリカ・ペンシルベニア出身のプロデューサー Alexandra Drewchin のソロユニットによる、2年4ヶ月ぶりフルレンス4作目。

さすがにここでアルバムジャケットの強烈さをスルーするわけにはいかないだろう。自分は前作 "IRISIRI" のジャケットを見た時に、写真の質感の生々しさや仄暗さからそこはかとないエロティシズムを感じ取っていた。ただその時は自分の頭がおかしいだけかもしれないという疑念を拭いきれなかったのだが、今回はもう間違いない。あからさまに扇情的で、フェティッシュもふんだんに盛り込み、ひどく倒錯している。しかしそこには同時に、表現衝動を発する際の臆面のなさ、表現を突き詰める姿勢のシビアさもはっきりと浮かび上がっていて、性的というよりも先に畏怖の念を覚える。存在のアイコン化とでも呼ぶべきか、自らの全身をフル活用し、視覚と聴覚の両面から世界観を構築していくスタイル。そういった意味では ArcaYves Tumor などと同じように、昨今のエクスペリメンタル・ミュージシャンの傾向を彼女も汲んでいると言えそうだが、実際の音楽はそのいずれのアクトにも似ておらず、またジャケットからも全く想像のつかない代物となっている。なにせこのアルバム、フォークの色合いが濃いのである。

彼女の音楽を構成する要素を挙げていくと、幅広い声域を持つボーカル、ささやかに爪弾かれるギター、荘厳なストリングス/クワイア、そして実験的なエレクトロニクス、といったところ。これだけ見ればすぐに連想できるのは Björk だが、目指す場所は微妙に異なっている。彼女の場合はあまり歌を聴かせることばかりに重きを置いておらず、楽曲ごとに IDM だったりアンビエントだったりポストクラシカルだったりと、一定のフォーマットに囚われず方向性があちこちに切り替わる、そんな自由奔放さが魅力だった…過去の作品においては。では今作はと言うと、上記の要素こそ同じだが、ベクトルとしてはむしろ逆を向いている。歌モノとインストゥルメンタルがほぼ交互に配置されており、歌モノが全体の大きな流れを筋立て、その流れを滑らかにしたり、もしくはあえて捻じ曲げてみたりといった調整役をインストゥルメンタルが担当している。つまり幅広さよりも全体的な統一感が重視されているのである。その歌モノにしてもこれまでの楽曲より明らかに歌らしい歌と言うか、例えば Chelsea WolfeMarissa Nadler などのゴシックフォーク勢とも同列で捉えられる、真っ当にシンガーソングライター然とした作風にシフトしており、そのぶん重厚さが強まった印象がある。

冒頭 "Airborne Ashes" は不穏なドローンノイズに始まり、そこへギターのアルペジオがなんとも心許ない調子で入ってくる。この時点でブラックホールがヌラヌラと大きな口を開けたような、奇妙な磁力が発生しているのを感じる。彼女の歌声が入ってくればその磁力はなおさら強まり、どこか怖いもの見たさにも似た、スリルと快楽が渾然一体となった感覚に意識を絡め取られていく。続く "Below the Clavicle" では往年の Kate Bush を彷彿とさせる奇矯さを見せたりで、彼女の持つシアトリカルな表現力、ボーカリストとしての力量がさらに発揮されている。その一方で "Volcano" では曲名とは裏腹の透明感、優美に広がる音が心地良く体に浸透し、"Diamond in the Bedrock" ではフォーク由来のトラッド感が増すと同時に、幻惑的なムードの深みが最高値へ…と、曲目が移るにつれて音の感触はグラデーションのごとく微細に変化していく。いずれにしても、重苦しさと涼やかさが入り混じった不思議なバランスは維持されており、アルバムを聴いている間はずっと没入しっぱなしということになる。

そして "Diamond in the Bedrock" の歌詞には今作を最も象徴する一節が含まれている。「あなたと私の関係は今が最高/だけど最高の "今" に人生を奪われるかもしれない/だから私は、別れることに決めた」。ここ数年の間に彼女は、機材の盗難、ハードディスクの故障、長年連れ添ったパートナーとの別離と、人生を丸ごと揺るがしかねない事件に立て続けに見舞われていたらしい。大切なものを数多く失った。しかしそれでも、彼女は表現することを辞めはしない。むしろ自ら進んで失ってでも表現の精度を高めようとしている。そんな自分自身を彼女は "Phoenix" 、塵と化してもなお高らかに産声を上げる不死鳥に例えている。この "死と再生" のモチーフは他の楽曲でも至るところで確認できる。絶えず変化していくことはミュージシャンにとってはある種の正義、美徳として語られがちだが、それは同時にミュージシャンとしての寿命を縮める十字架にも成り得る。変化を尊ぶ者にとって完成形は死を意味し、その死すらも美徳として活動に終止符を打つ者もいる。彼女は直向きに死に急ぎ、しかし不死鳥のごとく新たな姿を獲得しようと、生命力を擦り切らせている。

いったい何が、彼女をそこまで駆り立てるのだろうか。

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