Catherine Wheel "Chrome"

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イギリス・グレートヤーマス出身のロックバンドによる、1993年発表のフルレンス2作目。

もうかれこれ20年近くになるが、シューゲイザーというジャンルに対する愛着、憧憬がずっと抜けないままでいる。自分は2002年頃から海外の音楽を積極的に聴くようになったのだが、当時の自分にはシューゲイザーの世界へ辿り着くための道が周到に用意されていた。例えば Plastic Tree がライブの出囃子に My Bloody Valentine の "Only Shallow" を使っていたり、cali≠gari の石井秀仁が一時期 MBV のパロディ的なバンドをやっていたり、特撮(ロックバンドの)経由で COALTAR OF THE DEEPERS の存在を知ったりと、かねてから好きだったバンドの縦や横の繋がりを辿っていくと、偶然にもシューゲイザーに行き着くことが多くあった。またゼロ年代初頭はロックンロールやらポストパンクやら、過去のブームのリバイバルが盛んに発生していた時期でもある。シューゲイザーも新しい世代に遺伝子が引き継がれ、エレクトロニカやアンビエント、ポストロック経由での再評価もあり、一部ではニューゲイザーなるダジャレのような呼称まで生まれるなど、(他と比べるとささやかなものではあったけれど)復興の兆しが見えていた。シューゲイザーにのめり込むための様々なお膳立てがあったわけだ。

シューゲイザーの最盛期に当たる80年代末~90年代初頭、その頃にリアルタイムで触れた音楽といえば、せいぜいテレビドラマやバラエティ番組で流れているものくらいだったので、自分にとってシューゲイザーは言ってみれば新曲と同列の、まるっきり未知の世界だった。その頃のシューゲイザーバンドに触れるたびに、ノスタルジアの皮を被った新鮮な刺激、不思議な興奮に襲われるのである。それでディスクガイドなどを頼りに色々と音源を漁り続けているわけだが、今回取り上げたこの Catherine Wheel 、至るところで名前を目にしていたにもかかわらず、初めて聴いたのは比較的最近だったりする。不覚にも何となくスルーしてしまっていた。だがこのバンドもまた面白い。むしろ今聴いた方がその面白さを理解しやすいのではないかと思う。と言うのも彼らの音楽性は、シューゲイザーの一言で終わらせるにはいささか無理があるからだ。

1曲目 "Kill Rhythm" から思わず目が点になる。カリカリに歪んだギターサウンド、グルーヴィにうねる硬質なリズム隊。どう聴いても完全にグランジである。続く "I Confess" はさらに強気で、ミュートでザクザクと刻みながら輪郭の太いリフをかましてくるなど、ジャケットに象徴されているような浮遊感、透明感、幻想性などからは程遠い音なのだ。4曲目 "Broken Head" でようやくシューゲイザー的な分厚いギターノイズが現れるが、これもグランジやオルタナティブロックとの折衷が図られたもので、身体に直接訴えかけるアグレッシブな躍動感、ロックバンド本来のダイナミズムが目一杯に発揮されている。そして極め付けはアルバム表題曲 "Chrome" 。もはやグランジ通り越してメタル、しかも NWOBHM では?という勢いでドラマチックな泣きのギターフレーズを入れてくるものだから、さすがに笑いを禁じ得ない。これの前作 "Ferment" では本来のシューゲイザーらしい空間的なサウンドが主だったのに、わずか1年ほどのインターバルで大胆な変貌っぷりである。

しかしこれには幾つか要因が推測できる。まずボーカル/ソングライティング担当の Rob Dickinson がまさかの Bruce Dickinson (Iron Maiden) の従弟だというのだ。情報を知った時にはたまげてしまった。大成功した従兄と同じ道を進むことをあえて避けているあたりは何だか微笑ましいが、しかしそれでも血は争えないもので、上記の通り "Chrome" ではがっつり、他の曲にしても Iron Maiden と形式こそ違うものの、メタル由来の肉体性が少なからず注入されている。ラウドさを前面に打ち出しているシューゲイザーの例は数多くあるけども、このバンドのように豪胆かつ引き締まったサウンドプロダクションであったり、アンサンブル全体で生み出すグルーヴの力強さは、明らかに他とは一線を画している。また彼らはシューゲイザーバンドにしてはやけに演奏力の水準が高く、荒々しいプレイの中にも技巧的なきめ細かさが感じられるのだが、これもきっとメタル由来の価値観に裏打ちされたものだろう。極めて分かりやすく痛快なのだ。

そういった出自に加えて、今作がリリースされた93年と言えば、シューゲイザーの様式もほぼ完成され、ブームは飽和状態から徐々に下火に向かい、新たな波としてブリットポップが注目されつつあった頃だ。多くのシューゲイザーバンドは生き残りをかけての方向転換を余儀なくされ、あるバンドはブリットポップに鞍替えし、あるバンドはさらなる音響実験へと没頭した。そんな中で彼らは、同時期に隆盛だったグランジに接近することで活路を見出そうとしていたわけである。言わば他所のバンドとの差別化を図るという戦略的な意味合いもあったのかもしれない。これをニッチと取るかミーハーと取るかは微妙なところではあるが、当時のロックシーンにおけるふたつの大きな潮流がクロスした瞬間という意味では、このアルバムほど1993年時点の空気感が生々しくパッケージされた、ドキュメント的な側面を持ち合わせているものもそうそうないのではなかろうか。その意味でも今作が他にあまり類を見ないユニークさを持っているのは確かだと思う。

ただ、グランジ/オルタナティブとシューゲイザーの融合と言われて真っ先に思いつくのは The Smashing Pumpkins なわけだが、Catherine Wheel は本国イギリスよりもむしろアメリカでの方がチャートアクションが良かったらしいけれど、それでもさすがにスマパンのブレイク度合と比較すると彼らの知名度は何段も下になってしまう…まあこれはバンドをどういう文句でどのファン層に売り出すかというマーケティング的な理由も大きいだろうが…何となく思うのは、彼らは上にも書いたけれど、確かな演奏力があり、安定感が強いのである。良くも悪くも。グランジにしろシューゲイザーにしろ、その安定感が果たしてプラスに作用するのかと言われると、必ずしもそうではないような気がする。むしろ不安定さ、ナイーブさ、そこから生まれるひりついた緊張感こそが双方に共通する魅力ではなかったかなと。今作の楽曲だけを聴けば、決してヒットポテンシャルがないわけではないと思うし、興味深いバンドではあると思う。ただ彼らが他から抜き出た存在感を得るまでに至らなかったのは、そういった点が原因でどの畑のファンからも手を伸ばしにくい、ジャンルの狭間に埋もれてしまったからなのかな、など。

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