Kelly Lee Owens "Inner Song"

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イギリス・ウェールズ出身のプロデューサーによる、約3年半ぶりフルレンス2作目。

何の根拠もなく勝手にフォーク/カントリー方面の人だと思っていた。思いきりテクノ/エレクトロである。ただ彼女は自らボーカルも務める。今作を一通り聴いて思ったのは、James Blake や FKA twigs などが脚光を浴びたことで明らかとなった、テン年代における "シンガーソングライター" の概念の刷新、すなわち先鋭的なベースミュージック志向でありつつオーソドックスな歌の魅力も兼ね備えた、多才でカリスマチックな新しい世代の歌い手、その2020年度版に当たるのが彼女、というような印象がある。

だがこの作品の1曲目には歌がない。Radiohead "Weird Fishes/Arpeggi" のカバーであるにもかかわらずだ。バンドサウンドはエレクトロニクスに置換され、ボーカルパートは大胆にもごっそり省かれている。それで Radiohead のカバーとして成立していることにも驚かされるが、精緻に研ぎ澄まされたテクスチャーを慎重に差し引きすることで、自らの内面へと深く深く潜り込んでいくような、原曲の持つ没入感が上手く拡張されている。どうやら彼女は前々から Radiohead に対して、この曲のエレクトロバージョンを作ってくれたらいいのにという密かな願いを持っていたらしく、しかしそれがいつまで経っても実現しないものだから、ならばいっそ…ということで自分で作ってしまったのだと。曲を作るための動機としてはこの上なく真っ当だし、何なら微笑ましいまである。結果的にこのスタイリッシュなカバーはアルバムの導入、オーバーチュアの役割を丁寧に果たしている。

本番は2曲目 "On" からである。彼女本人の涼やかな歌声にすぐさま耳を奪われる。前作 "Kelly Lee Owens" においては、ボーカルはあくまで楽曲を構成するサウンドの一部、言わば他のシンセ類などと同列で扱われていた節があるが、この曲ではボーカルが堂々と楽曲の主役を張っているのだ。歴とした歌モノである。この意識の変化はどうやら Kieran Hebden (Four Tet) の提言があってのことらしい。もっと歌をはっきり立てた方が良いと。全くもって彼に同意する。柔らかさと冷ややかさを併せ持ち、ハーモニーも豊か。こんなに魅力的な彼女の歌声をエディットでぼやけさせてしまうのはもったいないだろう。しかしその一方で、リズムトラックは2ステップ/ガラージュの縦ノリパターンをストイックに反復するというもので、しなやかな上モノとは裏腹の熱量、高揚感をジワジワと滲ませてくる。静と動がひとつの曲の中でスムーズに連結され、合間の境界線が融解しきっているのだ。後半に入るとガラージュからガチガチの4分打ちに移行し、グルーヴが強化されてますます熱狂の様相を帯びてくる。感傷や寂寥、ノスタルジアなどを打ち棄て、加速度をつけて未来を目指すように。話によるとこの曲がレコーディングされたのは Keith Flint (The Prodigy) が亡くなった日。彼女が初めて買った CD シングルは "Firestarter" だったらしい。

3曲目は "Melt!" 。何が溶けているのか。氷である。歌詞はワンセンテンスで環境問題について言及している。我々が寝ている間にも氷は溶け落ちていると。前曲の勢いをそのまま引き継いでの、アドレナリンを噴出させる4分打ちのダンストラック。幻惑的なムードもあって快楽指数は高いが、彼女はそこで楽曲の心地良さに我を忘れることを良しとはしていない。むしろ我に返らせ、現実を、世界を直視させようとしてくる。Pete Townshend 言うところの、決して問題を解決することはないけれど、ただ問題を忘れて踊らせてくれる音楽…ではなく、ここにあるのは問題と向き合いながら踊らせる音楽なのだ。シビアな思想性、アップリフティングな機能性、イマジナティブな芸術性。ともすれば相反しそうな要素を盛り込むことで曲の魅力を多層的にしている。前のアルバムでは楽曲毎にチルだったりアッパーだったりと明確に役割が分担されていたように思うが、この曲しかり "On" しかり、今作ではそれらの役割が1曲の中でごちゃ混ぜにされていることが多い。ただそこで散漫だったり冗長にはならず、構成の妙によってひとつのスムーズな流れを完成させている。あとこの曲には実際に氷河の氷が溶ける音、また氷上をスケートで滑る音などもサンプリングされているらしい。芸が細かいな。

歌モノとダンストラックがほぼ交互に来るようなアルバム構成で、そのいずれにもドリームポップ的な陶酔感が共通しているわけだが、アルバム全体を通じて彼女は、幾重にも仕掛けた音の細部、あるいはメッセージを捉え、最終的には自分自身の深層に辿り着いてほしいという、ある種の "覚醒" を聴き手にずっと促しているように見える。クローザーの曲名は "Wake-Up" 。今作中最も開放感があり、透き通っていて美しく、気高さすらもまとったこの曲で、彼女はなお、ひどく端的に言葉を突き刺してくる。"目を覚ませ" と。無闇に思想の圧を感じさせたり、メッセージだけが浮いてしまうことのないように、極めて繊細な手付きでバランスを調整しながら、それでも彼女は確かに、はっきりとこちらに問い掛けている。アルバム表題は彼女が敬愛しているジャズベーシスト Alan Silva の作品からの引用とのことだが、内なる彼女を掘り返して提示し、それによって聴き手を各々の内に向かわせる、という意味で、これ以上に適切な表題は他にないだろう。

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