Fontaines D.C. "A Hero's Death"

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アイルランド・ダブリン出身のロックバンドによる、1年3ヶ月ぶりのフルレンス2作目。

だいたいどの音楽ジャンルもそんなものだろうが、最初は旧来のスタイルに対するアンチテーゼとして、フォーマットの革新を果たすために手探りで作り上げられたものだったはずが、いつの間にかキャッチーな名前があてがわれ、表面的な特徴がリストアップされ、その特徴にフェティシズムを覚えたフォロワーが続々と生まれ、良くも悪くもひとつの様式として完成されていく、そんな一連の流れが宿命づけられている。ある一定の場所から抜け出すための手段であったものが、いつの間にか一定の場所そのもの、目的と化してしまうというパターン。このアルバムの音楽性を一言で表すならば、ポストパンク、となるはず。よくよく考えれば不思議なジャンル名である。そのままパンク以降と直訳するならば、それこそパンクでなければ何でもいいという急進的な姿勢こそがキモであり、実際の音にはもっと多種多様な選択肢があっても良さそうなものだが、今となっては "ポストパンクと言えばだいたいこういうやつ" という共通の認識が確立されており、彼らがこの新譜で鳴らす音は少なからずその認識に立脚している。

それではこの Fontaines D.C. は、単にポストパンクの様式のみを目的とした懐古趣味のバンドなのかというと、決してそうではないと思う。少なくともゼロ年代前半頃に雨後の筍のごとく湧き出ていたポストパンクリバイバルの有象無象、それらはどちらかと言うと姿勢よりも様式を継承することの方に重きが置かれ、無邪気で、軽薄で、刹那の躁状態にも似たムードが強かったように記憶しているが、それらと彼らは佇まいが全く異なって見える。最近だと例えば Preoccupations 、Protomartyr 、black midi なんかも同じで、彼らは何かしらのブームの熱に浮かされることなく、極めてシビアな表現衝動をもってこのポストパンク的な音に辿り着いているのだという、ある種の必然性が感じられる。何をもってそう感じているのかと言われると言語化が難しいのだけれど…それは前述のバンドがいずれも、現代の音楽シーンの中でメインストリームに対するオルタナティブ/カウンターとして機能し得る批評性、元来のポストパンクバンドが第一義にしていた精神性をしっかり音に反映しているから、かもしれない。彼らには共通して、自身の表現に直向きに没頭するナルシシズムと、その表現が先鋭さを失わないように自らを客観的に見つめ直す、そんな冷静さが同時に感じられるのである。

何せ1曲目 "I Don't Belong" からして "誰の物にもなりたくない" である。何度もサビで連呼されるだけあって、このメッセージは誰にでも分かるほどにくっきりとした輪郭、確固たる重みをもって聴き手に迫ってくる。自由を希求する切実さ、そしてそれに付随する孤独であるがゆえの寂寥、それらがまとめて溜め息のように吐露されている。彼らはカテゴライズされることを徹底して拒んでいるし、ましてや前述のポストパンクリバイバルブームなど反吐が出るくらいのものだろう。そしてアルバム表題曲 "A Hero's Death" 。こちらでは "人生は空虚なばかりではない" というフレーズが連呼される。空元気のように軽快なリズムとコーラス、切迫感ばかりを煽るギターノイズにのせて。明らかに反語である。ボーカル Grian Chatten は多少の抑揚をつけることはあっても、基本的には淡々とした素振りで、ナイフでスッと刺すように言葉の数々を冷徹に伝えようとする。しかしその冷たさの表面を一枚剥がしてみれば、虚無感を拭い去ることができずに煩悶し、逡巡し、その中で上記のフレーズをひたすら自分に言い聞かせているような、泥臭く混沌としたエモーションが水面下で渦巻いている、そんな風に見える。

そういった歌が内包する混沌を、バンドアンサンブルは極めて効果的に、すでに熟達とも言える手付きで器用に操っている。ギターサウンドは殺伐としたノイズを多く含み、ひどく無機質で刺々しいが、それでもコード進行の随所には仄かな哀愁、感情の襞が見え隠れする。前作 "Dogrel" のいかにも粗削りな風貌と比べると、今作は音作りがより精緻に練り込まれていて、しなやかで分厚い聴き応えがある。ちょうど 1st から 2nd に至る際の Wire を思わせる変遷だ。 "A Lucid Dream" や "Living in America" では雷雲の中を突き切るようにスリリングな速度を見せ、片や "Oh Such a Spring" "Sunny" ではブルース、いや四畳半フォークかと思うほどの湿り気も見せたり。冷静を保ちながらもテンションの起伏は意外と大きく、楽曲毎に静と動の役割を振り分け、それらが連結することで極めてダイナミック、それでいてスムーズな流れを構築している。制御不能な衝動をどうにか美しい形に制御しようと試みる、この挑戦的な姿勢こそがポストパンクという音楽には必須の条件だろうし、彼らはその姿勢を実に説得力ある形で体現している。今作は2020年現在でもポストパンクが有効であることを証明してみせた力作だろう。

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