恋の終わりを告げる時計台が

ツイッターをやっていると「今日は〇〇の日です!」と、誰が決めたのだか分からない記念日の存在を毎日のように知るのだが、どうやら11月1日は紅茶の日であるらしい。それでふと思い出し、久しぶりに坂本真綾の「紅茶」を聴いている。オリジナルの視聴動画を探したがニコニコ動画のものしか見つからなかったので URL 直貼りである。インターネットもまだまだ爪が甘い。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm15236095

この曲が入っている「Lucy」は、自分が初めて聴いた坂本真綾のアルバムである。当時のことはぼんやりと覚えている。たまたまふらりと立ち寄った地元の TSUTAYA で、「Lucy」の CD ジャケットの真綾と目が合ったのだ。はるか遠くの景色を見つめ、凛とした表情の中にまだ憂鬱さや初々しさも感じさせる、その視線と不意にピッタリ。当時は真綾が声優だということすら知らなかった、完全に予備知識ゼロの状態である。

自分がミュージシャンを好きになる切っ掛けというのは、まあ実際に試聴したり他人に薦められてというのもあるが、だいたいは CD を見た際に直感的、動物的なカンでビビッとくるかどうか、なのである。ミュージシャン名、作品名、ジャケット、その辺から醸し出される「匂い」というものが、自分に未知の世界を見せてくれそうな予感がする、そんな何の根拠もないインスピレーションである。何を言ってるんだとあなたは笑うかもしれない。しかし音楽に限らず「出会い」というものは割とそういう直感に依る所があると思うのだが、どうだろうか。当時の自分は高校生。多感な10代の時期なら尚更である。それに当時は今ほどネットで気軽に音源を漁れる時代でもなかった。自分はその新しい「匂い」を探しに足しげく CD ショップへ通っていたのだ。「Lucy」の場合は、敢えて言えば「木登りと赤いスカート」「私は丘の上から花瓶を投げる」といった一風変わった曲名にひっかかるものがあったのかもしれない。

最初の印象はと言うと、当時完全なるヴィジュアルショッカーだった自分には随分と薄味に感じた。ただそれが一周回って新鮮だったのか、その清廉とした歌声の奥に何かを感じ取ったのか、曲の隅々を細かく嗅ぎまわるように繰り返し聴いていた。インパクト重視のロックと違い、「Lucy」はすっきりして聴きやすいながらも、その魅力を十分に読み取るには何度も注意深く聴く必要がある。誰かに言われたわけでもなく、そんな考えが頭の中に自然と沸き上がっていた。薄味だからといって簡単には無下に出来なかったのだ。特に後半、「Tシャツ」以降にある繊細な心の揺れの描写は、当時の自分の心象と重なる部分が多かったかもしれない。そこから「Dive」へと遡ってからはすっかりその魅力に心酔し、(一気に飛ぶが)今現在に至るという流れである。

当時とは音楽の聴き方も漁り方も随分と変わった。しかし自分は今でもミュージシャンとしての真綾の動向をチェックしている。かなり久しぶりに聴いた「Lucy」は当時の印象とほとんど変わることなく、およそ15年前と同じように自分の胸を打った。手段の引き出しが増えただけで中身自体は何も変わっていないのだろう。良いことだか悪いことだか、いや年月を経ても変わらないものに出会えたということは、きっと人生のうちにおける稀有な幸福だろう、と信じている。


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