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ネガティブ・キャンペーン【マジエッセイ、略してマッセイ】

ネガティブ・キャンペーン略してネガキャン。今日もこの世界では様々な人々がネガキャンを嗜んでいるのだ。

ポケモンの冒頭みたいだが、別に本来の意味でのネガキャンのことを書きたいわけではない。

今回で言うネガキャンとは私の嫌いな男のあだ名のことだ。

ネガキャンと出会ったのは入学してからちょっとした頃。不幸にも私のそのときの唯一の友がネガキャンと接触してしまった。

私はネガキャンの本質を知る前から、関わらないほうがいいやつだなと思っていた。

曲がったネクタイ、曲がった襟、辛気臭い顔、醜い顔、イライラしてくる顔。あとムカつく顔。そういった点から、ろくな人間でないと悟った。結局友のせいで関わってしまうのだが。

私の黒歴史として、ネガキャンと学校行事の遠足で同じ班になったことだ。あとおまけにチョウセンケマリザル(学校のサッカー部のクラスメイトの総称)もついてきた。ハッピーセット。ネガキャンとの遠足は苦痛でしかなかった。このときは私に死ぬ権利をくれと願ったものだ。

どういった点が苦痛だったかというと、遠足がつまらないという旨の言葉をエンドレスで投げかかけてくることである。ただでさえつまらないのに、言葉にされるとつまらないどころか地獄である。夏の暑い日に暑いと言っているようなもんである。これがネガキャンと呼ばれる所以である。

また黒歴史であるが私と私の友はネガキャンと弁当を一緒に食べていた時期があった。

これも思い出すと虫唾が走る。くちゃくちゃとゲロを食らうような音をたてながら弁当を咀嚼していた。ついでに残していた。打率は十割。
それらの行動に堪忍袋の緒が切れた私はネガキャンとの決別作戦を計画した。

計画は赤子の手をひねるくらい簡単だった。
ネガキャンは弁当を食べる際、毎回私に許可を求めてくる。そこで拒否するだけ。このときは少しワクワクした。

ネガキャンの接近を肉眼で確認。

ネガキャンが攻撃態勢にはいる。

ネガキャンの口の動きを確認。

「一緒にご飯食べよう」

この言葉とも今日でおさらばだ。覚悟を決めて、かつ冷静に私は言い放った。

『やだ』

小さく、しかしはっきりと言い放った。ネガキャンは水洗トイレに流されていく大便のごとく消えてしまった。もちろん消えた瞬間を視認していない。誰も大便が流れていくのをわざわざ見ないように。

私はその後普通にご飯を食べた。なんだかご飯が美味しかった。その時初めて農家に感謝しただろうか。感激のあまり米を噛み締め、米の甘さに気づいた。あとネガキャンの顔を思い出してイライラした。

これはあとから聞いた話だが、どうやらその日、ネガキャンは便所メシをしていたらしい。本当に便器に姿を消していたのだと知って、高校で初めて爆笑した。

あの苦痛でエピソードトークが買えたなら安いものだろうか。ちなみに中学時代の友達にこの話をすると結構ウケる。打率は十割。

しかし便所飯をしたのはどうやら一回きりのようだった。それからネガキャンは、一人でチャイムの音も聞こえない学校の秘境みたいなところで昼食を取っている。3限目が終わった瞬間に、そそくさと秘境に向かって走っていく姿を私は目撃した。高校での二度目の爆笑だった。雨の日も風の日も秘境に向かって走っていく。多分槍が降っても。プライドだけは高いのであろう。

これを見た私と同じ学校に所属している君は、3限目の終わりに教室の窓から体育館を見てみたらどうだろうか。健気に走るネガキャンが今日も秘境で昼食を取っているから。

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