忘れないためのメモ

まさしくんがいなくなってから二か月たち、最近は仕事を覚えるのに必死で、感傷に浸る間もあまりない。
なのに、隙間時間に動画とか写真とか見ただけで、涙でてくる。


わたしはほとんど人前で泣かない。
結婚してからは、まさしくんの前でしかほぼ泣きじゃくったことはない。
(1回だけまさしくんの母の前で泣いたわ)

そして、母親に似たのか、ポーカーフェイスで感情を表に出さないので、自分にネガティブなことが起こっても、周りにはあまり気づかれない。


まさしくんのお通夜、葬式の時、まさしくんの父は大泣きして、心配になるほど泣き崩れていた。それを見て、逆に泣けなくなったわたしがいた。
そして、まさしくんを触ると冷たいがために、亡くなったことを実感せざるを得ないことを受け入れたくなくて、わたしはまさしくんが亡くなった後ほとんど触っていない。

葬式の時、「触ってあげんか」とまさしくんの父に言われたけど、生きてるうちにあれだけ毎日手をつないで寝ていたし、毎日介助で触れ合っていたのでそれで十分だろう、って内心思って聞き流した。

定番の人生より早めに終える時が来ることは分かって結婚したから、だれにも文句は言えない。
文句を言おうという気はさらさらない。
だって、わたしは自分のことが嫌いなのに、まさしくんは好きだってずっと言ってくれたから。
こんなに好きでいてくれる人は一生現れないだろう。

最期が近くなった時、眠剤が入ってしばらくして、
まさしくんらしくない泣き顔で、
「ひとみちゃんは優しいね」
って言った。
この言葉を忘れたくはないからここに書き留めておく。
これがほぼ、最期の言葉。
わたしは優しかったのか?どういう意味で優しかったのか?
と自分に問うこともある。
こうなると無限ループに入り、埒が明かないので、考えすぎずそのままの言葉として受け取ることにした。

ほんとの最期の言葉は、ベッドの頭側を上下させたかったようで、
いつもの言い回しとは全く異なり、
「ベッドを上に、下に」だった。
そのあとは、口鼻マスクだったので、何を言っていたかはわからない。
本人もついにこの時が来たかと動転しただろう。



わたしは20代のうちに消えたかった。
でも、今となっては生きててよかった。
出会いがあるぶん、別れもあるけど、
こんな環境に置いてもらったからこそ、様々な方たちとつながれている。
あれもこれもどれもまさしくんのおかげだから。


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