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Day20,「Coral sea」Inktober2020

 怖かったことを思い出そうとすると、意外にも旅先の出来事ではなく、幼少期の事に集中する。
祖母の家の、書架が何列も並んだ書斎は、昼でも薄暗く、廊下の一番奥に鎮座していた背の高いオーディオ機器は、オーディオリールをセットする二つの黒い出っ張りが目のように見えた。強烈に怖い記憶だ。そこだけぼんやりと窓の光が差し込むから、人の空気に舞い上がる埃に日が当たり、白い粉塵の中で打ち捨てられた、ロボットの様に見える。両親が住むために改装され、今では風通しが良く、昔のままに残された書斎も既に伸びた背には当たり前になったが、廊下の奥のロボットは、未だ静かにこちらを見ている。

 家族でキャンプに行った谷川で、溺れたこともあった。渓谷の川は、真ん中に行くと外から見るのでは想像できないほど強い流れに当たる。夏の暑い日だった。知らずに私は川の真ん中まで泳ぎ出し、足がつかない急流に呑まれた。あっという間に流れは子供を攫う。必死にもがいて岸に戻ると、もう足はすくんで寒くもないのに震えは止まらなかった。泳ぎは不得意ではないが、今でも足のつかない沖に出ると、攫われる恐怖を感じる。
そうでなくても、自分の足下に何があるのか分からない状況は恐ろしい。いつも踏んでいる地面がないだけで、人はいくらでも不安になれる。そのうち恐ろしい想像が止まらなくなって、必死に泳いで息を切らして岸に上がりたくなる。

 それでも時には、恐怖に抗って見たい景色もある。したい事もある。水の中に広がっているのは、もしかすれば口を大きく開けたおぞましい生き物だけではなく、美しい珊瑚礁かもしれない。手付かずの宝の山かもしれない。結局、息を止めて暗闇に潜り、目を開けて水の痛みに慣れなければ、見えない世界もあるのだなあと思う。
幼少に感じた恐怖は今ではあまり感じなくなり、面倒臭さや協調性を守ることが代わりに私を押し留めようとするが、本質は同じなのかもしれない。

CORAL

珊瑚 (さんご) 。珊瑚色。「コーラルリーフ」

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