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記憶の片隅から

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記憶の片隅から何かが溢れてきたら記す、そんな息の長いゆるーいページです。
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#島根県

🚢隠岐 知夫里島の思い出を検証⑦ - 知夫里島は得した気分になれる島 -

3ヶ月前に書いた記事の続きです。 知夫里島の大きさ 私の住む大阪府四條畷市の面積は18.74k㎡…

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🚢隠岐 知夫里島の思い出を検証⑥ - 約半世紀前の懐かしい日々 -

前回からの続きです。 懐かしい日々このシリーズを書きながら、知夫里島での懐かしい日々を沢…

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🚢隠岐 知夫里島の思い出を検証⑤ - 後醍醐天皇上陸地とカルデラ -

前回からの続きです。 前回お伝えした通り、前々回の記事が、「#この街がすき」18,500件ほど…

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🚢隠岐 知夫里島の思い出を検証④ - 方言と屋号 -

前回からの続きです。 その前回の記事が、18,000件(最新の正確な数字は、このページ最後のタ…

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🚢隠岐 知夫里島の思い出を検証③ - 島へ流されたのは高貴な方? -

前回からの続きです。 大阪市港区私が生まれて(昭和36年)50日の時から小2の夏休みに四條畷…

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🚢隠岐 知夫里島の思い出を検証② - 船と港と牛 -

前回からの続きです。 船と港知夫里島へ行くには船しかありません。 私が子どもの頃は本土か…

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🚢隠岐 知夫里島の思い出を検証① - 山に水が湧く不思議 -

見出し画像は隠岐の島にある知夫里島、知夫村仁夫地区の湾内。右が私で6歳頃かと思います。 私自身は昭和36(1961)年に鬼太郎のまち鳥取県境港市で生まれ、生後50日から大阪市港区、小2の夏休みに大阪府四條畷市へ引っ越し、現在に至ります。 既に亡くなっている両親(父:昭和8年生まれ、母:昭和9年生まれ)は、隠岐の島にある4島の中で一番本土に近い知夫里島の生まれです。 * 夏に過ごした知夫里島の思い出話を淡々と書く予定でしたが、せっかくですので、幼少期の記憶や過去に聞いた