北のひめゆり 真岡郵便電信局事件 日本人なら知って欲しい事実

日本人なら知って欲しい。
1808年(文化5年)、江戸幕府からの命を受けた北方探検家の「間宮林蔵」は、「#松田伝十郎」と共に「樺太」へ調査に出て、シベリアと樺太の間に海峡があることを発見。
ソ連とは、繋がっていない事、先住民がいなかったことが調査によって文献に記されている。
ところが、いつの間にか先住民(当時は原住民という表記)が、いたことになっている。北海道もアイヌ民族が先住民だという先入観にとらわれているが、実はその説も怪しくなってきた。

 1867(慶応3)年、将軍徳川慶喜が政権を天皇に返し、 明治新政府 は、1869(明治2)年7月に役所を設置、8月に蝦夷地を北海道と改め、北海道 の開拓を本格的に始める。
この、明治以降について取り沙汰されるが、この時点では確かにアイヌ人が居る。

 ただ近年の研究により、北海道に初めて人類が姿を現すのは旧石器時代の約2万年前である。これを倭人(DNA同)とするなら、アイヌは日本の中世(鎌倉・室町・戦国時代)に出現しているので、先住民とはあたらないという説だ。

 そもそも、なぜ民族争いが起こるか?というと樺太にしろ、北方諸島にしろ経済的効果が大きいからだ。

 今回の動画では、取り沙汰されていないが 樺太の住民40万人は貧しい暮らしではない。良質の石炭・ニシンや鮭などの海産物、良質な原生林に支えられた製紙会社(北越や日本製紙の原型もここにある)大いに町が活況する状況にあったのだ。
 事実、この北のひめゆりに取り沙汰された、北海道への避難は拒否して残った人々がいる。その多くは韓国人だったが、日本人も避難をいやがった富裕層もいたそうだ。

 戦後 韓国人は取り残されたとか、避難民として扱われなかったなどと言っているが、そもそも樺太は船の入出港も多く第二次大戦中に充分帰ることは可能だった。(※参照図書:「写真記録樺太棄民: 残された韓国・朝鮮人の証言 | 伊藤 孝司 |本」)

※参考図書については、日本への不平不満を論った本なので、興味ない方は参考までに留め置いてください。

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