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ここ3年くらいの激動のライフログをまとめてみる

2020年くらいからいろいろ身辺であわただしいことが起きて、それを周囲に詳しく説明できないままでした。はたから見たら2年くらい謎の空白期間のある人になっていたので、こんなことがあったよというログを残しておこうと思いました。
あの人どうしたんだろう?って心配してる人や、最近見かけないけどもう活動から離れちゃったのかな?と思われてる方もいるかなあと。
弁護士を介している問題だったり家族のプライバシーもあるので、はっきり書けないことも多々ありざっくりしたライフログですが。

2020年3月

いとこが亡くなったと、その夫からの手紙が私だけに来る。いとこと私の母・姉の関係が良好でなかったためそのような方法が取られたと思われる。
いとこの葬式はすでに済んでいた。いとこは遠方にておばを病院に入れて面倒をみていた(それもまた紆余曲折あるのですが省略)。

2020年6月初旬

私の母が骨折。見立ては全治一か月ほどで、通院治療となる。

2020年6月中旬

夫の父親が入院。

2020年6月下旬

夫の父親が亡くなる。
葬式、家の引きはらいなどありここから火が付いたように忙しくなる。母の骨折の通院治療もまだ引き続いていた。

2020年7月

遠方にて病院に入っていたおばが亡くなる。
お骨と戒名を書いた紙(白木の位牌がなぜかなかった)が母の家に届けられて、納骨まで預かってほしいといとこの夫に頼まれる。花、祭壇などの手配もなかったので、私と姉で簡素な祭壇を作ってお線香や花やお菓子を供えた。

2020年8月

母の歯の状態が悪く、嫌がっていたが歯医者に何とか連れていくと治療に1年くらいはかかりそうと診断される。母の歯の通院治療が始まる。
母の骨折はこのころに完治。継続して骨粗鬆症の治療が始まる(現在も継続中)
このころ私の腰が限界を迎え、鍼治療をしながらなんとか片付けや法要準備などをしていた。

2020年8月上旬

夫の父親の納骨

2020年8月下旬

おばの納骨

2020年11月頃

コロナ禍もあったが、ここまでの流れが怒涛すぎて長い間DJイベント等から離れざるを得なかった。見に行くのも出演するのも。身辺の片づけがようやく落ち着いてきたのが2020年も終わろうとしていたころ。しかしここでまた大きな事件が起きる。

2020年11月末

いとこの夫から弁護士を通じて実家の母・姉に立ち退きの通告が届く。いっさいそれまで何の相談もなかったが、こちらが無視して家に居座っているという設定になっていた…なんでじゃ…。しかも立ち退き期限が年内いっぱいになっていた。このコロナ禍かつ年末年始かつ1か月以内という無理難題。
すぐ姉と相談して、こちらも弁護士を雇って事態の解決をはかることにした。

2020年12月~2021年5月

弁護士を通してやり取りしている間に引っ越し先を探したり、新居と契約したり、カーペットやら家具を取りそろえて設置したり。もうとにかく面倒な身内と縁を切ろう…の方向で動いていた。
姉が働いてて忙しかったので、ほぼ私が中心になって動いていた。引っ越しも弁護士もお金がかかることなので姉はがんばって働いて合間に引っ越し荷物をまとめる、私は弁護士とやり取りしたり新居をセッティングする…と分業していた。家具の設置や力仕事では夫が仕事で忙しい中すごく助けてくれた。信頼できる家族と一丸となって戦っていた日々だった。

2021年5月中旬

立ち退きを通告してきたいとこの夫が亡くなったと間接的な情報で知り、なんだそれ???となりながらもこちらの担当弁護士にすぐ連絡して確認してもらった。マジだった。
先方の弁護士が引き続きで諸々処理するとのこと。
向こうの親族の相続云々でめんどうなことになりそうな気がする、姉と私はこれは早く逃げよう…と話し合う。この勘は後日当たる。

2021年7月

「怒鳴りながら実家に侵入しようとしている人がいたと隣人から電話が来た、怖いので来てほしい」と母から連絡。周辺を警戒しながら実家へ行ったが不審者はすでにいなかった。
連絡をくれた隣人のところでお礼を述べ、その時の様子を聞いてみたところどうもいとこの夫の親族らしかった。わからないけど何か相続的なトラブルが起きてるかな…と思ったのですぐにこちらの担当の弁護士に相談。
実家周辺の店舗の方々にも事情を説明して不審者を見かけたらお手数ですが通報ねがいますと伝えた。警察にも相談しに行ったところ、できる限り見回りの際に実家に立ち寄ってくれることになった。
母は恐怖のあまり嘔吐。なんということをしてくれたんだ…

2021年夏

もはや夜逃げのような勢いで引っ越しした。このとき手や知恵を貸してくれた友人たちに多大なる感謝を。
片付けは残っていたが、母と姉の身の安全が第一だったのでそれは私がだいたいやっつけた。また力仕事だったので夫の力も借りつつ。

2021年秋

母と姉の新居の住所変更の手続きや冬支度などやることはたくさんあったが、家族が恐怖におびえることなくすごせるようになったのでよし。
しかしこのころから私の左手に激痛が走るようになる。かなりひどかったのでブロック注射(これがまた痛い…)もしたが、よくなる気配がなかった。右手も痛むようになってきたので、鍼治療に通うようになる。

2022年初旬

家族は平穏な暮らしをとりもどしたが、私が心身の不調に悩まされる。あれだけのことがあったら体も心もボロボロになるよなあ…と無理せず休養しようと思った。クラブイベントも体がまだきつかったのや、精神的に立ち直っていないときに好きな音楽が聞けない性質だったのでまだぼちぼち様子を見ながらの参加。手の痛みでグラスを持つのもちょっと大変だったので手首サポーターをしていた。
あとは何かを楽しもうとすると不測の事態に壊される、という不安感が長い間ぬぐえなかった。

2022年初夏

長い間活動していなかった私になんとDJオファーが来る。泣いた。全力でやらせていただいた。話をたどってみるとだいぶ昔から縁のあってのことだったようで、ぽつぽつでも色んな活動しててよかったな…と思えた瞬間であった。

2022年後半

少しづつDJ活動を再開しはじめる。ちゃんとできるか、体調を崩したりしないかおっかなびっくりではあったけど。一回ごとに、大丈夫だった!が積みあがっていくのがとても心身に良かったし、フロアの皆さんの喜ぶ顔が自分には何よりの薬ということに気づく。

2022年10月

新型コロナウイルス感染症陽性。気をつけてはいてもなるもの…とはいえ、受けていたイベントに出演できなくなってしまい悲しみが大きかった。

2022年秋冬

コロナ感染後の後遺症か胃腸の調子が数か月にわたりよくなく、体重が勝手に減少していったので養命酒など飲み始めて抵抗。せっかく活動できる気力がわいてきたのに後遺症に負けてたまるか、という気持ちが強くなる。
感染したあと、人間いつどうなるかわからないな…と思い、京都に行くなど急に活動的になる。
このころ大事な友人を亡くすという大きな悲しみもあった。
パーティーは続けなくてはならないという思いがようやく心に戻ってくる。まだ体がついていかないものの。

2023年春

いろんなイベントに出演させていただく機会が多くなった。
と共に花粉の季節が襲来。今年は特にひどく、咳が止まらなくなる喘息のような症状や顔が腫れるなどあって、体調の調整が大変だった。
また、調剤薬局が薬不足で、私にはよく効くのに長い期間もらえていない薬なども在り…。
花粉の季節が過ぎたら黄砂でまた咳喘息の症状が出る。鼻洗い、うがい、のど飴などで押さえつける。
そして咳喘息の予防で飲む薬のジェネリックの在庫が尽きて先発薬のみになり、お財布が痛い。
薬不足に悩まされる春だった…。
体調不良で外出が難しいときは家で曲の聞き込みと整理をこつこつやっていた。牙は研いでおこうと思って。

2023年初夏

ようやく花粉症と黄砂の季節を抜けたので外出がしやすくなる。いろんなところに出かけて、しばらく会ってなかった人たちにも会いたい。
ちょっと体調で気になるところもあるので、ちゃんと病院にも行く。自分を大事にするのは忘れずやっていく。

いろいろありすぎたけれど、今はわりと前向きに生きています。
しばし疎遠だった方々とも最近は顔を合わせる機会ができて、うれしいです。
どこかで会いましたら、また乾杯などしてください。


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