チルドパックは便利だな
そういえば、『志賀十五の壺』というポッドキャスト番組をしている。各種 Podcast や Spotify、Radiotalk や stand.fm で聴取できるので、こちらから好きな媒体でご一聴いただけたら幸いである。内容は言語学についてが主だが、それに興味のない人もまあまあ楽しめると思う。なんと、それについてインタビューされたこともあるのだ。
チルドパックは便利である(この「チルド」が最近巷で流行った「チルい」と由来が同じというのはなんだか感慨深い)。太古の時代なら考えられない素晴らしい発明品である。自分のような素人が、真似事でもラジオ(のようなこと)ができるというのもまた、夢のようなことなのかもしれない。
ラジオと親しみのある青春時代であった。岡山で生まれ育ったが、大阪のABCラジオをよく聴いていた。朝は『おはようパーソナリティ道上洋三です』で眠い目をこすり、夜はタイガースのナイター中継で熱くなり、深夜は『ミュージックパラダイス』で最新J-POPを追いかける……。ほかにもNHKの語学講座にお世話になったり、寄席の中継を聴いて漫才や落語、浪曲に触れたりした。今は深夜ラジオもタイムフリーで聴けるので、これまた便利な時代になったものだ。
私の番組は Radiotalk というアプリをキーステーションに、各種ポッドキャストアプリでも配信している、という形である。本来であれば、Radiotalk をスマホに入れて聴いてくれと宣伝したいところだが、私の番組を聴くためにインストールするだけの魅力がこのアプリにあるとは、残念ながら言いがたい。なので、『志賀十五の壺』を聴くだけだったら、別段 Radiotalk 経由でなくともよい。
「ラジオ」を冠したアプリなのでインストールしたのだけれど、最近の Radiotalk は、私が好んだ以前のそれとは、かなり異なるものである。むかし贔屓にしていた番組も、無くなったり更新しなくなったりしてしまった。各々感じるところがあったのだと思う。懐古主義と言われればそれまでだが、雰囲気が変わってしまった。アプリという一見無機質なものにも、雰囲気というか空気感というか、そういう人間臭いものが存在するというのは、新鮮な発見であった。
その変化を形容するのはそう困難ではないが、敢えてすべきでもないかもしれない。抽象的な言い方をすれば、ヤリすぎててキツい番組が増えたって感じである。これはそういう番組が悪いというよりは、ラジオというならそういうキツさを出さないでほしいという、個人的な願望であるといったほうが正確かもしれない。そしてそれは、おそらく、チラチラ何かを気にしたり、誰かしらの顔色を窺ったりする姿勢に起因していると思う。このキツさは、ワイプでカメラを向けられた芸能人が、わざとらしい表情を造るときに感ぜられるキツさと、根本的には同じである。
しかしいくら文句を言っても、それがこのアプリの目指している姿なのだからしかたない。もちろん個人的に Radiotalk が合ってないだけなので、どんなアプリか確かめるためにインストールしてみるのはアリだと思う。
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