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あ・い・う・えっせい

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#言語学

アンパンマン、いつもあなたのそばに

 アンパンマンよりバイキンマンが好きだった。理由は黒が好きだから。好きな色というのはその時々でけっこう変わるものである。ナルトにハマっていた頃はオレンジが好きだったし、マトリックスを見終わったあとは緑が気に入っていた。しかし、黒という色は、私が本能的に好んだ色という点で特別である(ような気がする)。  黒という色は人間が認知しやすい色であるらしい。いかなる言語であっても黒と白は区別する。なんなら、黒と白(あるいは「暗い色」と「明るい色」)しか色彩を表す単語が存在しない言語も

いつも心にサロンパス

 私には身体的弱点がいくつかある。高血圧だったり近眼だったり、それなりにあるのだけれど、骨折した右肘というのも、弱点選手団の旗手を任せられるほどの代表格と言ってよい。  中学校ではバドミントン部に所属していた。部員が多かったためか、伝統的に中一の夏休みまでラケットを持つことはもちろん、体育館にも入れてもらえず、三年生が引退してからようやく体育館でシャトルを打てるようになった。それまで延々と学校の周りを走らされる。不良の包囲網をかいくぐりながら(ときに絡まれながら)走り続け、

江ノ島の桜、たくあん干し

 田舎者にとって東京の地名ほど非現実的なものはないし、真綿色したシクラメンほど清しいものもない。ここでいう東京とは、「広義の」東京である。テレビでよく見聞きする場所が現実に存在していて、そこに人々の営みがあるなんて夢にも思わない。吉祥寺はゆずの歌で初めて耳にしたし、江ノ島はアジカンの歌でしか馴染みがなかった。御茶ノ水は地名としてではなく、鼻の大きな博士の名前としての知識しかなかった。新宿や渋谷なんて、ゴッサム・シティと同じである。高校を出て上京したての頃、これらの地名が実在す

折り紙おりおりおりおりおり

 「最初に〇〇した人はすごい」という話で小一時間盛り上がることがある。ナマコを最初に食べた人とか、コンニャクを最初にこしらえた人とか、色々挙げられるだろう。そんな中で、折り紙とあやとりを最初に発明した人も見上げたものである。見上げても見えないくらいで、首が痛い。  折り紙は日本人が子供の頃から親しむ遊びで、私も自慢じゃないが、折り鶴程度なら今でも折ることができる。本当に自慢にならないのも珍しい。あやとりも、「ゴムゴム」とか「飛行機」とかが作れるオールスターみたいなものであれ

着物きるきるくるりくる

 着物──文字通りには「着る物」なので、衣服全般を指しても良さそうなものであるが、現代日本語では和服を意味する。一方、「服」は基本的に洋服を指し、「和服」と言わないと和服を意味しない(妙な言い方だ)。「電話」も携帯電話やスマホの普及により、「家電」という新しい語が定着してしまった。ありていにいえば、時代の流れである。  マイ・ホームタウン岡山県は、制服の生産量日本一である。トンボやカンコーといった大手制服メーカーも岡山に本社を構えているのだ。私自身、小中高とすべて制服であっ

クリスマス、たくあんパーティー

 星空を見上げていると、それらの星が何億光年も離れたところにあって、それぞれが惑星を持ち、さらにそれぞれの惑星が衛星を持ち──と、宇宙の壮大さにふと気付かされることがある。似て非なる経験として、渋滞を見ていると、それぞれの車の運転手が皆教習所通っていたという事実にハッとすることがある。このドライバー達もそれぞれが教習所に通い、怒られたり試験に落ちたりしたんだなと考えると、妙におかしな気分になる。  クリスマスの時期も似たような感覚を覚える。地球上の多くの家庭にサンタクロース

困った膏薬貼り場がねえ

 「困った膏薬貼り場がねえ」──幼い時分、この「貼り場がねえ」を「ハリバガネ」という一単語と誤解し、針金の進化形みたいなものだと思っていた。文字を未だ知らぬ小さき者は、概してこのような勘違いを起こしやすい。テレビの「ご覧のスポンサーの提供でお送りします」というのも、「ゴランノス・ポンサー」という外国人の名前だと思っていた。おそらくマーク・パンサーとかピンク・パンサーとかの影響も大いにあったのだろう。  我が郷里の先輩、重松清さんの『きよしこ』という短編小説集がある。これは、

サンマの尻尾、ゴリラの肋骨

 数え歌というのがある。概してこういったものは地域差がある。いーち、にー(の)、サンマの尻尾──マイ・ホームタウンではこのあとどうなるかで派閥があり、「ゴリラの息子・娘」派と、「ゴリラの肋骨」派で分かれていた。そのあとは共通して「菜っぱ、葉っぱ、腐った豆腐」で、めでたく十まで数えられるのだが、「息子・娘」か「肋骨」か、おそらく半々くらいではなかったかと記憶している。  言語学的に言わせていただくが、日本語の数詞には和語と漢語がある(そんな大層なことでもない)。前者は「ひとつ

背骨

 骨折の多い生涯を送って来ました。  今まで三度骨折している。どれも腕の骨折であり、小三のときに右手・左手を一度ずつ、中二のときにはふたたび右手を折った(というか剝がれた)。原因はそれぞれ、スケートボードでの転倒、体育での走り高跳びベリーロールでの着地失敗、部活動での疲労蓄積である。最後のは未だに後遺症が残っている(下記参照)。  小三というのは私にとって伝説といって差し支えのない年で、一年に二度も骨折するなど狙っていてもなかなかできる芸当ではない。家族や学校の先生は開い

手のひらを太陽に透かしてみれよ

 一度、血液の濃さが足らず献血を断られたことがある。血液の濃さとは、要するに赤血球中のヘモグロビンの量であり、真っ赤に流れる僕の血潮の正体である。そのヘモグロビンには鉄分が必要であるということも、知識としては頭にあった。だいたい毎日赤兎馬(志賀家の鉄瓶のこと)で沸かした白湯を飲んで鉄分を摂取しているし、すでに献血を何十回と経験してきているのに、ヘモグロビン濃度が低いと言われるとは、なんと屈辱的なイベントだろう。顔で笑って心で泣いた。  「どうやったらヘモグロビンが増えますか

トマトトマト、上から読んでも下から読んでも、トマトミニトマト

 トマトが逆から読んでもトマトとなるのは、子音と母音をセットで扱っているからだ。厳密に回文にするなら、オタモット(otamot)という未知の単語が出来上がることになる。  「たぶんぶた」という回文をはじめて聞いたとき、「ん」が一つ足らないのではないかと思った。「たぶんんぶた」としないと対称にはならない。「ん」というのが、真ん中というか兼任というか、中心にあるというのがすぐに理解できなかった。「トマト」はすぐ納得できたのに、「たぶんぶた」だけは腑に落ちなかったのである。これは

煮る子は育つ

 毎朝起きたら湯を赤兎馬で沸かしている。赤兎馬とは、マイ・ホームで使っている鉄瓶のことである。その白湯を豆乳と一対一で割り、それで粉末ホエイプロテインを溶かして毎日飲む。年寄りの冷や水ならぬ、若者(?)の白湯である。白湯は「さゆ」だが、中国語では「パイタン」である。「湯」はスープなのだ。中国語母語話者が銭湯だか温泉だかで「男湯」や「女湯」というのを目にすると、ちょっとギョッとするかもしれない。  そもそも「湯」という単純語が存在することが、それが日本人にいかに馴染みがあるか

猫の手も借りたいにゃー、っておめえ猫じゃろうが

 けっこうお笑い好きである。ラジオでお笑いに親しんできたため、動きや顔芸よりも、話術で笑わせてくれるものが好みである。  漫才やコントなんかも、言語学的に分析しようと思えば(無粋ではあるが)できないこともない。もっとも簡単な言い方を用いれば、「話が通じない」というのがお笑いの基本の一つである。それはナンセンスで不条理な会話から、ちょっとした誤解にいたるまで、程度はさまざまである。  私が最も敬愛する漫才師はいとしこいしさんである。お二方の有名な漫才に、鍋が好物だというくだ

ハクション大魔王セブン

 「くしゃみ」っていかにもオノマトペって感じがする。「ハクション」が「くしゃみ」になったというのはけっこう想像しやすい。しかし事実は異なり、くしゃみは「くさめ」、さらには「くそはめ」に遡り、要は「クソくらえ」という罵り言葉が語源である(「食む」は「馬が草を食む」に見られる)。昔はくしゃみをすると早死にすると考えられていて、一種のおまじないだったようだ。  このように、馴染み深い単語に思いがけない由来があることはぱぱある、もといままある。九月は英語でセプテンバーだが、このセプ