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あ・い・う・えっせい

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#岡山

着物きるきるくるりくる

 着物──文字通りには「着る物」なので、衣服全般を指しても良さそうなものであるが、現代日本語では和服を意味する。一方、「服」は基本的に洋服を指し、「和服」と言わないと和服を意味しない(妙な言い方だ)。「電話」も携帯電話やスマホの普及により、「家電」という新しい語が定着してしまった。ありていにいえば、時代の流れである。  マイ・ホームタウン岡山県は、制服の生産量日本一である。トンボやカンコーといった大手制服メーカーも岡山に本社を構えているのだ。私自身、小中高とすべて制服であっ

クリスマス、たくあんパーティー

 星空を見上げていると、それらの星が何億光年も離れたところにあって、それぞれが惑星を持ち、さらにそれぞれの惑星が衛星を持ち──と、宇宙の壮大さにふと気付かされることがある。似て非なる経験として、渋滞を見ていると、それぞれの車の運転手が皆教習所通っていたという事実にハッとすることがある。このドライバー達もそれぞれが教習所に通い、怒られたり試験に落ちたりしたんだなと考えると、妙におかしな気分になる。  クリスマスの時期も似たような感覚を覚える。地球上の多くの家庭にサンタクロース

しばらくあいや、しばらくあいや

 法的に問題なく飲酒が可能になった頃、高校の同窓会があった。これは伝統的にマイ・ハイスクールが開くもので、先生方もいらっしゃる会であった。大学の冬休みだったので、私も夜行バスで十時間かけて東京から帰岡した。  卒業してたかだか二、三年であったが、急激な環境の変化もあってか、ひどく懐かしかった。この中にはもう一生会わない者もいるだろうと直感したが、あえてそれを口に出すこともない。当時組んでいたバンドのメンバーとも、しばらくぶりに再会した。  我が母校では、生徒が文化祭のため

すずめ、めだか、からす

 「定石」とはもともと囲碁の用語で、決まりきった最善の手順のことを指す(将棋では「定跡」と書く)。囲碁や将棋に限らず、たいていのものに定石というものは存在する。例えばしりとりでは、まず「りんご」と答えるのが定石となっている感がある。幼稚園の頃、同じばら組のジュンペイくんが、しりとりの初手で「リンカーン・コンチネンタル」と言い、周囲をざわつかせたことがあった。いきなり「る攻め」とは、なかなか嫌な幼稚園児である。すずめ・めだか・からす、という並びも、定石といっていいような流れでは

海苔食うとき、醬油と味の素つけて食ったら美味えで

 嫌いな食べ物はない。もし恐い人に「嫌いな食べ物を言え、言わないと泣かす」と言われたら、「オクラです」と泣きながら言うだろう。こういう風に、一度で二つの欲求を満たすサービス精神を常に大切にしたいものだ。昔、オクラは青臭くて苦手だったが、悲しい哉、感性が鈍くなってきたのか、今では平気である。  高二のとき、オクラが苦手であるという話をクラスメイトのM君にしたことがある。彼は太字で「アンビリーバブル」と書いた顔面をこちらに向けた。オクラはテキトーに刻んでレンジでチンし、醤油と鰹

むかしむかしおじいさんとおばあさんが桃を割りました

 マイ・ホームタウン岡山は、桃太郎ゆかりの地である。マスコットキャラクターはもちろん、空港からお祭りにいたるまで、あらゆるものが桃太郎に肖っている。岡山駅前では桃太郎の像が出迎えてくれるし、J2のサッカークラブはファジアーノ岡山という。ファジアーノとは、イタリア語でキジのことだ。  桃太郎、そのあらすじを知らぬ者はいないだろう。さて、晴れて桃太郎が生まれるシーンであるが、「桃が割れて、中から男の子が」となっていることも多い気がする。この場合、じいさんばあさんが手を下して「割

煙突ファイヤー、ボブ独走

 校歌というのはやたらめたらと地元の山や川を褒め称える。マイ・ハイスクールの校歌も、岡山三大河川の一つである旭川をたたえていた。  旭川に加え、地元のK山も(大した山でもないのに)賞賛している。そのK山をランニングで登るというのが、我がバドミントン部の習わしの一つであった。バド部の活動の半分くらいはラケットを持たずに行われる体力トレーニングであった。山登りもそういった類のトレーニングで、少なくとも月一回以上は行われた。中学の頃も死ぬほど走らされたが(下記参照)、高校でもそれ

夜回り先生、よく見りゃいいじゃん

 マイ・ホームタウンは田舎だもんで、寂れた商店街こそあれ、夜回り先生が必要な繁華街はない。娯楽というものがなかったので、中学に入ると愛煙家となる生徒は割と多かった。小四の時分、町にダイソーができてちょっとした騒ぎになった。  その小四を、私はプレハブの仮設校舎で過ごした。ちょうど小学校が木造の旧校舎を取り壊したり増築したりしていた時期で、我々の代がそこで過ごすことになったのだ。伝統的に四年生は、音楽室のある三階に教室が割り振られるので、かなりイレギュラーであった。ただ当事者

るぼん亭のお菓子

 私はこしあん原理主義者である。粒あんは完成品ではなく、こしあんの途上にあると考えている。可食部を廃棄しているのだから、すなわちこしあんとは贅沢品である。常識で考えれば、こしあんが粒あんより上位に位置付けられるのは当然である。  マイ・ホームタウン岡山に大手まんぢゅうという薄皮まんじゅうがある。むろん、こしあんである。地元住民に訊けば、桃太郎のきびだんごより、こちらの大手まんぢゅうのほうを土産としてお勧めするはずだ。備前の大手まんぢゅうと伊勢の赤福は、こしあん界のツートップ

おかんわかるで岡山人

 県民性や国民性というものは本当にあるのだろうか。そんなこと言う時勢でもないかもわからないが、もしあるとしたら、それは気候に起因するものだと思う。  『銃・病原菌・鉄』というえらく売れた本がある。著者のジャレド・ダイアモンド博士によれば、旧世界、すなわちユーラシア大陸で、農耕が始まり文明が興ったのは、究極的には地理的要因のためだという。ユーラシア大陸は東西に横長だから、動植物や人や文化やその他諸々が伝播しやすい。もう少し詳しくいうと、南北に移動するためには気候や環境に適応す