自分史①保・幼・小学低時代/第一友達時代

第20話

今回から4回に分けて"自分史"をやってきます。
誰も興味がないと思いますが、やってきます。


(1)保・幼・小学低時代

年中ぐらいのときに保育園から幼稚園に転園したこともあり、
このような時代名称となりました。

保育園の頃によく描いていた絵がこれです。

保育園の頃によく描いていた絵(再現)

当時の自分に言わせると、「山手線と中央線」だそうです。
違う、それは絵じゃない。路線図だ。

家では、トミカ・プラレール遊びをするのが多く、
当時の自分曰く、ストーリーを作りながら車を走らせてたのだとか。

あと、5歳上の姉の遊びを真似することも多かったです。
お店のレジを模したものを姉が紙で作ったら、私も作る。(姉は立体、私は平面。)
姉が漫画を描いたら、私も描く。漫画といってもこんなのですけどね。

『なの人』1巻(8才の頃)

丸いものが好きだったんですかね。

我が家は父親の仕事の都合上、紙(おもに裏紙)が使い放題だったので、
主に町や鉄道関係なんですけど、
思いついたアイデアを紙に書くという習慣がついてたんですよね。

また、小学校の休み時間は、自由帳に迷路を描いたり、

迷路(7才の頃)

校庭に出ても一人電車ごっこをするだけでした。

ここ最近の私は陰キャだ陰キャだと言ってきましたが、
「いつから陰に成り下がった」とかじゃ無さそうなんですよね。


(2)第一友達時代

とはいえ、小2ぐらいには
放課後遊びをする仲間が固まってきました。
習い事もいろいろやってたので、その間を縫うかたちというか、
遊びも一種の習い事のように曜日が決まってたと思います。

KKくん、KTくんなどからなる
室内ゲームグループ(マインクラフトのイメージが強い。)
と、
MKくん、UKくん(小2末に引っ越し別れ)などからなる。
活発遊びグループ
の2つに属していました。

活発遊びグループでは、自転車を乗り回し、
駄菓子屋に行ったり、自分らで見つけた"秘密基地"に行ったりしました。
誰から教わったわけじゃないのに、ちゃんと"少年時代"してるんですよね。
(ちなみに、自転車で遊んでて転んで左手首の骨を折ったことがあります。)

でも休み時間の過ごし方は変わらず、ドッヂボール組には入らず、
一人で、自由帳書いたり、鍵盤ハーモニカ吹いたり、
(鍵盤ハーモニカとリコーダーを同時に吹いたり、)
校門の脇でお店屋さんごっこしたり(小4)しました。
一人でです。客は来ません。

"自分の世界"があったんでしょうね。

というか、今もあるんですよ。"自分の世界"。
年齢が上がるにつれ、他人の目を気にしなきゃいけなくなった
ってだけです。


続きます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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