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天の下、皆等しく精進する――『月華夢騒』感想【ブルーアーカイブ】

 「山海経せんがいきようかレッドウィンターがそろそろ来る時期かな? 楽しみだな~❗😊」と密かに期待していたら、火薬庫にダイナマイトをぶち込むとんでもねえ予告スチルが来ちまった。

 そんなわけで初見時のインパクトがとにかく凄まじかった『月華夢騒』。伝統を厳格に重んじる玄龍門と、外部からの「変化」を受け入れる玄武商会。緊張状態が依然として続き、「変化」を拒む生徒が多いこの自治区に、毎週のようにクーデターが起きるレッドウィンター自治区を束ねる連河れんがわチェリノが訪問すれば、どのような化学反応が起きるのか。

 ……てっきりギャグ回かと思ってたら、多様な政治思想が描かれ、メインシナリオ並みに風呂敷が広がる骨太な物語が待ち受けていました。今後はネタではなく敬意を込めて"偉大なるチェリノ書記長"と呼ばせていただきます。以下、雑記ですが感想を。ネタバレを含みます。



漆原カグヤ

「しかし、諫言を恐れていては、それこそ忠義に反すること。」

 漆原うるしばらカグヤ。彼女が最終的にとった行動は極右過激テロリストそのもの。しかしそこに至るまでの経緯を丁寧に追うと、「変化」に敏感な山海経の一員としてごく自然な葛藤と不安を抱き、それが「伝統」を守るべき京劇部部長という立場と、申谷しんたにカイの巧みな話術によって先鋭化され、暴走してしまった結果であるように思える。あまり責めたくはないなと。

 チェリノとの会見後、カグヤは花びらに色づく(変化する)街の"景色"を見ながら、「山海経とレッドウィンターの出会い――即ち、両学園が混ざり合うということ。――その道を歩むのですね、門主様。」とつぶやく。そして、忠義のためにキサキに諫言する決意を固める。

「……此の景色が人を酔わせ、
気づかぬまま麓に辿り着いたのか。」

 直後にこんなモノローグ。個人的な解釈ですが、これはカグヤから見た、「変化」で浮かれる山海経の現状、というだけではなく、事前に相手がカイだと"気づかぬまま"接触することになるカグヤの行く末も予言しているように思う。

 ひょっとしたらカグヤにも、京劇に興味津々なチェリノという景色を前にして、酔い痴れ、迷う気持ちがあったのかもしれない。しかし君子は和して同ぜず。相手に飲み込まれないよう己を律し、民を正しく導かなければなりませんと、キサキに対して真っ当に諫言するつもりだったのかもしれない。

 何にせよ、この時点では彼女の考えは定かではなかったが、

「伝統の価値も京劇の意味も、何ひとつ知らぬ者の前で、己のすべてを曝け出す……。」
「ああ……その屈辱、よく分かるとも――他の誰よりも。」

 しかし申谷カイの話術によって、チェリノの前で京劇を披露したことは屈辱であったと定義される。曰く、「変化」を迎え入れるキサキの方針によって生まれた波紋がこのまま広がれば、京劇は過去の遺産となり、忘れ去られてしまう。山海経の「伝統」を守るには、その価値と意味を最も理解している君が必要だ。この発言を受けて、カグヤは心情を吐露する。

カグヤ:
皆、伝統は守られるべきだと口を揃えるが……
それがどれほど重要なのか、正確に理解している者はほとんどいない。
我々は過去から受け継がれてきたもの、その歴史を尊重すべきなのに!
現在は過去という根があってこそ存在するものだというのに!

5話

 後にはこんな発言も――

「いくら門主様とはいえ、山海経の校則を恣意的に破ってはならないのだ!」
「校則が意味を為さなくなれば、門主様本人も、山海経を治める大義名分が無くなってしまうというのに!」
「他学園の生徒会長より、玄龍門の門主の権限が強いのは、何の為なのか!」
「ああ……!すべては、山海経の法に則って統治する為なのだ!」

 浅学にしてあまり詳しくはないのですが、これは法家思想が由来ですかね。勉強しておきます。

 ふと思い出したのは哲学者オルテガの『大衆の反逆』。自由主義(リベラリズム)とは、何から何まで容認する「無秩序」を受け入れることではない。その本質は常に過去の経験知の中にあり、歴史的に構築された秩序や規範によって自由は担保され、儀礼や手続きが他者への寛容な態度や共存を可能にする、というのがオルテガの考えだ。

 文明とは、何よりもまず、共存への意志である。人間は自分以外の人に対して意を用いない度合いに従って、それだけ未開であり、野蛮であるのだ。

『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット
神吉敬三訳

 しかし、拠り所を失い、個性を失って群衆化した「大衆」は、そうした伝統や慣習を破壊することが自由への近道であると考える。自分の意見を持たず、あちこちに押し流され、多数派という正しさだけに依拠する。SNSによって不特定多数の匿名者が可視化される現代はまさに「大衆の時代」。過剰な叩き行為やネット私刑が横行する様が何とはなしに重なる。

「連邦生徒会長代行の権威を使って役員に命令すれば、
手間取ることなく仕事をこなせるのでは?」

 悪い例として出してしまうのは大変申し訳ないが……『カルバノグの兎編』2章の不知火カヤはまさに、伝統や手続きを軽視し、超人思想によって他者を排斥していた。役員の同意を求めず権威に従わせてしまえばいいというカヤの考え方を、リンは「毒の入った聖杯」と形容し、「自分の意見と違うからといって、権威を掲げて他人を抑圧することはできません。」と語った。それは「変化」を巡って対立が起きる山海経にもどこか通底する。

 カグヤ自身がどこまで考えているかは定かではないが、私自身は、『月華夢騒』は左派と右派の抗争という構図だけではなく、キサキの行政方針が生み出す「自由」は、うっかりすれば無秩序をもたらしかねないという警鐘を含んでおり、意見が対立する中で真の自由主義とは何かを暗に問いかけている話でもあると解釈した

現実的には手続きを踏まえることができない場面もあるわけで……
難しい問題じゃよね……

 オルテガも、何も頑なに伝統を守れ、と言っているわけではない。むしろひとつの狭い物の見方に固執してはならず、反対者や敵対者とともに統治する勇気や責任感を持つ「貴族」であることの重要性を説いている。

「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや!」

 この点、京劇において、黒い門主に扮したカグヤはこの故事成語を口にしている。己を鴻鵠だと驕り、意見を異にして諫言する臣下や民を燕雀として退ける。そのような者は門主にふさわしくないと暗に糾弾しているのだろう。

 無論、キサキは驕り高ぶって伝統や民意をないがしろにするような門主ではない。誰よりも山海経の未来を案じている。『龍武同舟』では微妙なラインを常に見極めながら裁定を下していた。慣習に反する形で門主になったこと、カイの処分について通常の手続きを踏めなかったことがネックになってはいるが……時間をかけて対話する、あるいは、キサキの治世が長く続けば誤解が解け、和解できるはずだ。

「ふふっ、お褒めに預かり光栄です!私どもは、様々な役を演じているため――」
「たまに、己の本当の姿が分からなくなる時もあるのですよ。」

 山海経の伝統を守りたい。カグヤ本人にとってそれは偽らざる本心だろう。しかし、チェリノの前で京劇を披露することは屈辱だったのか? 京劇を政治利用してクーデーターを企てることは、自分が本当にしたいことだったのか? カグヤ自身、仮面の下に隠した己の本当の姿が分かっていないのかもしれない。

 総じて、今回は性急にも暴動に走ってしまったが、外部との関係を能動的に持ち始めたことで政治的混乱が度々起きている山海経においては、その不安と危惧を代弁できるカグヤのような人物はやはり必要であるように思う。自分の素行を見つめ直し、京劇部という立場からキサキの治世を監視し、時に諫言し、互いに意見を交わしながら山海経の「自由」を守る。そんなポストに収まることがベストではないだろうか。彼女の今度の動向に期待を寄せたい。……それにしてもさすが山海経の生徒。顔がよすぎる。メモロビでイチャイチャしたい。実装お待ちしております。


竜華キサキ

「天下は威厳だけで取れるものではなく、人の心は勇猛だけで得られるものではない。」
「天命とは、まさに此れじゃ。人はただ、精進するのみ……。」
「組織の長とは本来、天に捧げられる生贄のようなものじゃ。」

 古代中国においては、天帝から使命を与えられた天子が国を統治するという天命思想があったのだそう。カグヤの二度目の京劇で示されたのは、天命を受けた門主が徳を失えば天罰が下り、天下は荒廃するという道理だ。

 人は天に遠く及ばず、門主は天に喰われる生贄に過ぎない――『月華夢騒』は前回の『龍武同舟』にもまして、人々から畏怖の念を集める門主であるキサキもまた、所詮は玄龍門の一員に過ぎず、個人の力だけでは如何ともし難い状態に陥っていることが強調された。彼女は面倒事を押し付けられる形で門主になった。薬に頼らなければ日中に出歩くこともままならず、サヤ以外の者にはこの事を秘密にしている。誰にも助けを求めることはできない。「いつも完璧な姿を見せなければならぬ。さもなければ……喰われてしまうからの。先代の門主が、そうであったように。」と。

もう二度と「背を高くするためのばんざい体操」をネタにできないねえ……

 ブルアカおまえさあ……「小さな体躯に重すぎる使命」をどんだけやりゃあ気が済むんだよ……辛えよ……あかんほんまに胸がムカムカしてきた……

(……ふむ、秘書が交渉を取りまとめるのじゃな。妾が知っておるレッドウィンターと齟齬があるようじゃが……)
(それとも……これが動かずとも天下を治めるという「無為の治」……?)

 キサキの未来はどうなるのか。キサキがチェリノの振る舞いを「無為の治」と評したことが印象に残った。この言葉には道家思想が重なる。仁と礼を重んじることを説いた儒家思想に対して、老子は作為的で不自然な行ないは長続きせず、無為自然の政治こそが理想であると説いた。

【原文】
太上下知有之。其次親而譽之、其次畏之、其次侮之。信不足焉有不信焉。悠兮其貴言、功成事遂、百姓皆謂我自然。
【書き下し文】
太上は下之有るを知るのみ。其の次は親しみて之を誉め、其の次は之を畏れ、其の次は之を侮る。信足らざれば焉に信じられざる有り。悠兮として其れ言を貴るれば、功成り事遂げて、百姓皆我は自ずから然ると謂う。
【意訳】
最上の政治は下々が君主がいることを知っているだけ、その次は下々が親愛を抱き君主を誉める、その次は君主を恐れる、最後は君主を侮っていることだ。信ずるに値しない君主であれば、下々が信じることはない。ゆったりと構えて、口うるさくしなければ、事は成し遂げることができ、そして百姓たちは自分たちの力で自然にそうなったと思うものだ。

『老子』(角川ソフィア文庫版参照)
「陰謀を暴くだのなんだの……あのように、今の玄龍門には、妾がいなければ無秩序な状態になってしまいかねん……。」

 今でこそ門主は恐れられる存在だが、その体制も限界に来ている節がある。先生の引率、ミナの護衛、レッドウィンター事務局の加勢、さまざまな人々の支えがあってこそ今回の事件は解決することができた。今はまだキサキの裁定が必要そうだが、全てを門主の一存とせず、生徒たちが独立独歩で歩んでいけるように少しずつ「変化」させていくことが、キサキにとっても、これからの山海経にとっても必要なのかもしれない。何にせよ、キサキの心労が少しでも和らぐ未来が訪れることを願いたい。

(夜中に部屋で二人きりで、甘えるように胸元に寄りかかってきた)キサキの頭を優しく撫でる

(……それにしてもこの場面、情緒的というか、高度な暗喩というか、まあ何というかその、深読みしてしまうというか……ねえコハルはどう思う?)


連河チェリノ

「おお、今回の主役は黒い鎧を着ているんだな!
ちょっとずつ細部も分かるようになってきたぞ!」

 ガチで最高。知識0の状態から自分なりの感性で異文化を学び、偏見を抱かず、まっさらな心で芸術を堪能する。見習いたい。旅客が全員真似すべき手本みたいなこんな人物の前で京劇を披露することのどこが屈辱だよ❗❓ なあ❗❓

「すべての生徒には、意見を表する権利がある!」
「そしてすべての生徒会長には、その意見を聞き入れ、学園を導く権利がある!」

 騒動の渦中ではキサキに活を入れ、カグヤのクーデターについては「それがどうした」と言わんばかりに毅然とした態度を見せる。クーデターなど日常茶飯事。我らレッドウィンターの厳冬の前では、みなが公平である――それは門主の権限が強い山海経に示された、異なる「変化」の可能性。自文化を相対化して見つめ直すという意義においては、異文化交流する相手として最適な人物だったと言えるだろう。

 君主としての懐の深さを見せつけ、未曾有の「変化」が次々と起きる現在の山海経の中で、キサキやミナに「何も恐れずどーんと構えていればいい」と言外に伝える。その偉大な姿に思わず惚れました。あまりにも背中がデカすぎる。


近衛ミナ

「山海経を敵に回してでも、最後までお守りいたします。」

 拙者、小さな体躯の主君と不器用ながらも身体を張って守る従者のおにロリ的主従関係大好き侍――義によって助立ち致す。

 山海経を守るために門主に敵対するカグヤと、山海経を敵に回してでも門主を守るミナ。相反する「忠」の示し方。それぞれの立場や思想の違いを体現しているようでええですね。

 直後には「生徒会長を護衛する鉄砲玉」「顔はいいが中身はポンコツ」など何かと共通項がある池倉いけくらマリナと、背中合わせの構図で共闘。ブルアカ、オタクの夢叶えてくれがち。ありがとうございます。最高でした。

「フッ、食べきれないほどの量を用意する。
これぞまさに、山海経流の「おもてなし」だな!」

 こちらも何気ないけど好きな場面。『龍武同舟』では玄武商会を目の敵にしていたけど、今ではルミ会長も山海経の伝統を受け継ぐ一員であると認識していることが、言葉の端から感じられる。思い描くは、ひとつの未来。ミナも少しずつ「変化」している。


申谷カイ

「私は、私のものを取り戻す。
誰にも邪魔させないよ。」

 顔がいい。壁ドンで顎クイされたら堕ちる。ガチで怖かった。カグヤの心情を屈辱と定義したのは、百花繚乱編におけるシュロの言動と重なるが、カリスマ性人心掌握術はこちらの方が数段上ではないだろうか。身近にいなくてよかった。私も口車に乗せられて悪事に加担してたろうなあ……

「だって……君がそうなったのは――」
「私のせいだからなあ?」

 しかも(詳細は不明だが)かつて山海経の生徒たちを大量に苦しめ、加えてキサキの身体がこうなってしまった原因も作ったらしいとなると……これもう純粋悪では? 歴代最高クラスの極悪人ちゃうか? だ、大丈夫? R-15指定映画になっちゃわない?


予告編でまさかのシュエリン再登場。おはようじょー!

 以上、『天華夢騒』の感想でした。京劇部も、門主も、その護衛も、個々の政治思想や立場は違えども、そこにいるのは、天の下に精進する小さな者たち。レッドウィンター連邦学園という異邦者の視点から俯瞰することで、その現実がさらに前景化され、それでもなお、山海経の未来のために信じて突き進む彼女たちの姿に胸を打たれました。個人的には歴代でもトップクラスで好きなイベントシナリオ。予告編も相まって次回が待ち遠しいばかりです。

 ……いやマジで冗談抜きで待ち切れないな。来月にでもすぐに来てくんない? カイは過去に何をやらかしたの? 今度は何をしでかすの? キサキ様実装してくれない? メモロビで頭なでなでしてあげたいんですけどぉ!!!!

未だに回収されていない2ndPVのスチル。
本編で大暴れする日がいつか来るだろうか。

 余談ですが、今回のカイと同様、最終編以降はイベントシナリオで七囚人が登場するようになりましたね。今はまだ種蒔きの段階で、来年~再来年あたりから収穫が始まり、スーサイドスクワッド的展開がいずれ幕を開けるのかな。不謹慎ではありますがワクワクしてしまいます。次回の山海経イベントはもちろんのこと、他学園のイベントにも期待が高まるばかりです。それではまたどこかで。

<ブルアカ関連記事>

<参考文献>
『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット, 神吉敬三訳, ちくま学芸文庫
『NHK「100分de名著」ブックス オルテガ 大衆の反逆』中島岳志, NHK出版
『天命』Wikipedia
『老子・荘子』野村茂夫, 角川ソフィア文庫